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日本人の愛国
 [社会・政治・時事]

日本人の愛国 (角川新書)  
マーティン・ファクラー/〔著〕
出版社名:KADOKAWA(角川新書 K-359)
出版年月:2021年6月
ISBNコード:978-4-04-082331-7
税込価格:990円
頁数・縦:222p・18cm
 
 日本に長く住み、各地で取材を続け、日本と30年間向き合ってきたジャーナリストによる、「日本人の愛国」論。そのあらましは以下の「抜書」に譲るとして、日本がこれからの世界の新しい社会モデルになる、という提言を私たちは肝に銘じて、実現する努力をしていかなければならないだろう。
 
【目次】
第1章 愛国は多層的だ
第2章 戦前の愛国―上からの愛国は命さえも軽んじられる
第3章 元兵士たちの愛国―ナショナリズムの拒絶と新しい表現
第4章 定まらない愛国―島は巨大な墓である
第5章 戦後の転機その1―尖閣諸島問題
第6章 戦後の転機その2―3・11
第7章 天皇が示した愛国
第8章 沖縄の人々
 
【著者】
ファクラー,マーティン (Fackler, Martin)
 ジャーナリスト。1966年アメリカ・アイオワ州生まれ。大学生のときに台湾の東海大学に留学。慶應義塾大学をへて、東京大学大学院で経済学を研究生として学ぶ。イリノイ大学でジャーナリズムの修士号を、カリフォルニア大学バークレー校で歴史学の修士号(現代東アジア史専攻)を取得した後、96年よりブルームバーグ、AP通信社、ウォール・ストリート・ジャーナルで記者として活躍。2009~15年、ニューヨーク・タイムズ東京支局長。11年の東日本大震災の精力的な報道で、12年ピュリッツァー賞のファイナリストとなった。
 
【抜書】
●新しい社会モデル(p40)
〔 一方で私は、日本に対しての期待も大きくなってきたとも言えると思う。戦後の世界秩序が揺さぶられる中で、世界の多くの人は、アメリカでの格差社会を生んだ新自由主義とも違う、香港の若者たちの抗議デモを弾圧する中国のサイバー権威主義とも違う、別の社会モデルを探している。この混乱した、技術や政治的な変化によって流動性のある時代に合う、新しい価値観や経済・社会モデルを日本に期待している。〕
 
●リーダーの息子や孫(p98)
〔 戦後の日本の支配者にとって、戦争の記憶を棚上げするもう一つの目的があったと私は考える。戦後の政治家や官僚の多くは、戦争に直接関わったか、または、戦前・戦時中のリーダーの息子や孫だったから、戦争責任を追及するのを避けたかったのだろう。新しい経済大国を造るには、国民の追従と動員が必要だったのだ。
 戦後のコンセンサスを作るために、戦争についての社会議論をしなかった。根本的な問いかけさえ投げかけなかったのである。あの戦争はなぜ起きたのか? 日本は何のために戦ったのか? 約310万人もの人がどうして亡くなったのか? このような議論をしたことがある人はどれくらいいるだろうか。
 日本政府は、社会を分断させるこうした議論を凍結して、国民の力や感情を平和的な経済成長に集中させることに成功した。所得倍増計画といった目標を立てて、皆の生活水準を高めるために頑張ろうと呼びかけた。国民の意欲を育て維持するように、政府がメディアを動員して、戦争という課題をずっと避けてきた。そして、終戦から70年以上もの歳月が過ぎた。〕
 
●戦争責任(p131)
〔 戦争責任と真正面から向き合う勇気をすべての世代がもちあわせることが、新しいアイデンティティを生み出す大前提となると私は考えている。〕
 
●新たな愛国(p218)
〔 違う民族同士が共有できるアイデンティティをどう構築するか。戦後の日本は、植民地を手放して、平和的で平等な社会を作ってきた。弱肉強食の原理で動くアメリカと異なり、公平で思いやりのある、コミュニティのメンバーを大事にする国となった。日本の愛国のあるべき姿は、戦後の今までの成果に基づくのではないだろうか。
 だからこそ、新たな愛国の定義を何に求めるのかが問われてくるだろう。政治的な体制なのか。経済的な体制なのか。私個人としては、社会のあり方に答えがあるのではと考えている。沖縄で図らずも表出したアイデンティティの違いを乗り越えていくことは、21世紀の日本を前進させていくチャンスであると考えている。〕
 
●下からの愛国心(p220)
〔 この本で、世界の地政学的な変化により、日本が冷戦時代から続いてきたアメリカに従属するマインドから脱皮して、国民の一人一人が自分の国への責任を感じないといけない時代になってきたと議論した。
 しかし、これは戦前の愛国心に戻るという意味では決してない。戦後の日本の素晴らしい成果を認め、平和的で平等で住みやすいという新しい形の国を作るのが立派なゴールとなるのではないだろうか。
 そのため、3・11の後に現れた市民ジャーナリズムや市民科学からヒントを得て、明治時代にできた上からの愛国から脱却して、国民が自発的に感じる下からの愛国心が必要なのではないだろうか。これにより、国民が主体となる、もっと健全なナショナリズムを生み出すのではないかとこの本の中で議論した。
 そして、単一民族国家という古い考え方から脱却して、多様な民族や価値観、生活様式、女性やLGBTなどの活躍を可能にする社会となり、『日本人」の新しい定義をより広く考え直すということを私なりに提案した。〕
 
【ツッコミ処】
・南北戦争(p21)
 〔南北戦争、国内の対立の様子(小学館「ジャパンナレッジ」掲載資料をもとに作成)〕と題した地図が掲載されている。調べてみたら、『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)の「南北戦争」という項目に載っている図版だった。
 ちなみに、「ジャパンナレッジ」の運営会社は株式会社ネットアドバンスである。
 
・遺骨収集(p92)
〔 日本とアメリカのこの違いは何だろう。戦死者の数が理由ではない。戦争という史実への向き合い方、とらえ方の違いだと私は考える。歴史を直視してきたか否かの差が、収容されていない遺骨数に反映されているのではないか。
 アメリカでは、遺体および遺骨の収容は、アメリカ軍が責任をもってあたる。太平洋戦争を含めた第二次世界大戦から朝鮮戦争、ベトナム戦争をへて湾岸戦争やアフガニスタン戦争、イラク戦争などにおいても、戦争の目的などに対する議論とは別に、戦没者へ最大限の敬意と感謝、哀悼の想いを捧げる。〕
  ↓
 日本が戦没者の遺骨収集に積極的でないのは、軍が消滅したからではないだろうか?
 軍人たちは、一緒に戦ってきた仲間たちの遺体を戦場に放置したくないだろう。その思いは強いと思う。軍が消滅した日本では、戦死者への思いを強く抱く主体がなくなったのだ。
 しかし、硫黄島は自衛隊の基地・駐屯地となっているのだったら、自衛隊に収集作業をしてもらえいばいいのにと思う。
 それにしても、北朝鮮拉致被害者との大きな違いは何だろう。こちらの遺骨回収には非常に神経質なのに。
 
(2021/8/23)NM
 
〈この本の詳細〉

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