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古代日本の官僚 天皇に仕えた怠惰な面々
 [歴史・地理・民俗]

古代日本の官僚-天皇に仕えた怠惰な面々 (中公新書 2636)
 
虎尾達哉/著
出版社名:中央公論新社(中公新書 2636)
出版年月:2021年3月
ISBNコード:978-4-12-102636-1
税込価格:924円
頁数・縦:234p・18cm
 
 官僚と言えば、滅私奉公で「宮仕え」をするお役人というイメージがある。それは昔からそうだったと、我々日本人は何となく思い込んでいる。
 しかし、古代日本の律令官人(律令国家の官僚たち)は、けっこうルーズで怠け者だった。その実態を、奈良・平安時代の史料を紐解き、明らかにする。
 そもそも、古代日本には中国的な専制君主国家の礎となる儒教が普及していなかった。礼もなかった。専制君主に従順に仕えるという観念自体が存在しなかった。体制側も、官人たちの緩い勤務に対してあまり厳しく統制してこなかった。つまり、それが日本的な文化だったのである。
 しかし、である。本書では官人たちの勤務態度に対して「怠慢」「過怠」という言葉を多用しているが、果たしてそれだけだろうか、と思うのである。資料的な根拠はないのだが、この時代の社会は、現代との大きな違いがある。個々人が手軽に時刻を知るための時計もないし、交通も発達していない。家電などの文明の利器もないので、官人たちにも家での雑用が多々あったかもしれない。そのため、サボるつもりはなくても、出仕できない日もそれなりにできてしまう。そういう事情もあったのではないか、と漫然と思うのである。律令官人たちに好意的すぎる考えだろうか?
 
【目次】
第1章 律令官人とは何か―前史とその世界
第2章 儀式を無断欠席する官人
第3章 職務を放棄する官人
第4章 古来勤勉ではなかった官人たち
第5章 官人たちを守る人事官庁
終章 官僚に優しかった「専制君主国家」
 
【著者】
虎尾 達哉 (トラオ タツヤ)
 1955年(昭和30年)、青森県に生まれる。京都大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科博士課程中退。京都大学博士(文学)。現在、鹿児島大学法文学部教授。専門は日本古代史。
 
【抜書】
●大舎人(p18)
 天武天皇は、天武2年(673年)5月、出身法(官人登用のための法)を打ち出した。
 「大舎人(おおとねり)」という官人登用制度を創設した。他の「舎人」と区別するために、天皇との密接な関係を表す「大」の字を付けた。天皇の身近にトネリとして仕えさせ、これを忠良なる官人に育て、能力に応じた官職に就ける。大舎人は新官人群養成のための培養器であった。
 
●官人の給与(p38)
 奈良・平安時代の六位以下の官人の給与。
 長上官の給与は、季禄。年2回支給される。絁(あしぎぬ)・綿・布の繊維製品と鍬の現物給付。全国からの調を財源とする。
 番上官は、一部を除き給与はない。毎月の食料(月料)と調庸免除の特権のみ。
 長上官(ちょうじょうかん)……識事官(しきじかん)ともいう。四等官(長官、次官、判官、主典)など、常勤の官庁の中軸的官職。
 番上官(ばんじょうかん)……分番官、雑任(ぞうにん)ともいう。非常勤でローテーション(番)を組んで勤務する。史生(ししょう)、使部、伴部(ばんぶ)など四等官の下にあって様々な下働きを担う官職。官位相当制の埒外にある。
 
●悪臭(p108)
 桓武天皇は、延暦9年(790年)、奏紙の悪臭について怒りをぶちまけた。
 「私のもとに進められる奏紙には、悪臭を放つものが多い。今後は臭わないきれいな紙だけを選んで奏紙とせよ。もし、これを改めないなら、奏上を行う少納言を処罰する」。
 
●早朝(p141)
 古代中国では、政治は早朝に行われるものとされた。
 朝廷や朝政という古代の政治機構や政治そのものを表す漢語に「朝」がつくのはそのためである。
 
(2021/9/1)NM
 
〈この本の詳細〉


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