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桓武天皇 決断する君主
 [歴史・地理・民俗]

桓武天皇 決断する君主 (岩波新書 新赤版 1983)
 
瀧浪貞子/著
出版社名:岩波書店(岩波新書 新赤版 1983)
出版年月:2023年8月
ISBNコード:978-4-00-431983-2
税込価格:1,166円
頁数・縦:286, 4p・18cm
 
 桓武天皇の事績をたどりながら、平安京遷都前後の日本の歴史を綴る。
 
【目次】
第1章 ルーツ――白壁王の長男
第2章 皇位への道――「奇計」によって誕生した皇太子
第3章 桓武天皇の登場――「聖武系」の皇統意識
第4章 平安朝の“壬申の乱”――早良親王との確執
第5章 神になった光仁天皇――長岡京から平安京へ
第6章 帝王の都――平安新京の誕生
第7章 政治に励み、文華を好まず――計算された治政
終章 桓武天皇の原点――聖武天皇への回帰
  
【著者】
瀧浪 貞子 (タキナミ サダコ)
 1947年大阪府生まれ。京都女子大学大学院修士課程修了。京都女子大学文学部講師等を経て、1994年同大学教授。現在、京都女子大学名誉教授。文学博士(筑波大学)。専攻は日本古代史(飛鳥・奈良・平安時代)。
 
【抜書】
●親王禅師(p67)
 早良親王は、幼いころから仏道を志し、東大寺の等定〈とうじょう〉を師として11歳で出家、21歳(もしくは22歳)で受戒し、その年に東大寺から大安寺〈だいあんじ〉に移住した。東大寺では法華宗を極め、大安寺に移住後は華厳宗を広めることに尽力した。東大寺の開山・良弁〈ろうべん〉は、臨終に際して早良に華厳宗を伝授。
 宝亀元年(770年)、父の光仁の即位に伴い、「親王禅師〈しんのうぜんじ〉」と呼ばれることになる。僧籍を持ったまま親王号を称したため。正倉院文書に「親王禅師」「禅師親王」と見える。
 桓武天皇の即位とともに皇太子に立てられ、還俗した。
 
●宮内遷宮(p85)
 きゅうないせんぐう。
 飛鳥時代には、天皇ごとに宮殿が遷された。歴代遷宮。
 藤原京以後も、宮城内(大内裏内)に殿舎〈でんしゃ〉を建て替える「宮内遷宮(遷都)」という縮小形態で継承されてきた。
 桓武を継いだ平城天皇は、遷都せず、旧宮にとどまることを決定した。平安京造営や兵役のために民が疲弊していたため。
 
●不改常典(p127)
 天智天皇が定めたとする皇位継承法。それまでの慣例だった兄弟継承をやめ、直系(嫡系)への継承を原則とする。大海人皇子への皇位継承を反故にする手段として、直系(嫡系)への継承、すなわち大友即位の正当性を定めた。口勅〈こうちょく〉の類で、成文化されていない。
 慶雲4年(707年)、元明天皇即位の詔に出てくる、「天地と共に長く、日月と共に遠く、改まるまじき常の典〈のり〉と立て賜い、敷〈しき〉賜える法」。略して「不改常典」と称する。
 それ以前、持統女帝が、草壁皇太子の子の珂瑠皇子の即位を実現するために援用、依拠したのが最初。
 
●刪定(p230)
 さんてい。文章や語句を改正すること。
 延暦10年(791年)3月に『刪定律令』24条が施行されたが、これは『養老律令』を修正・補訂したもの。
 神護景雲3年(769年)、称徳天皇時代に吉備真備・大和長岡らが時代にそぐわない条文や不必要な語句を削り修正し、まとめていた。しかし、頒下〈はんか〉されず放置されたままになっていた。桓武がその施行を命じた。
 延暦16年6月には、大納言神王〈みわおう〉らが奏上した『刪定令格〈さんていりょうきゃく〉』45条を諸司に下し、遵用を命じている。
 格……律令の不備を補うための法令。
 
(2023/10/22)NM
 
〈この本の詳細〉


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