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武家か天皇か 中世の選択
 [歴史・地理・民俗]

武家か天皇か 中世の選択 (朝日選書1038)
 
関幸彦/著
出版社名:朝日新聞出版(朝日選書 1038)
出版年月:2023年10月
ISBNコード:978-4-02-263123-7
税込価格:1,870円
頁数・縦:254p・19cm
 
 中世期の朝廷と武家との関係について考える。
 
【目次】
序 謡曲『絃上』の歴史的回路―虚構を読み解く、「王威」そして「武威」
1 武家か天皇か
 「本朝天下ノ大勢」と天皇
 「本朝天下ノ大勢」と武家
2 内乱期、「王威」と「武威」の諸相
 東西両朝と十二世紀の内乱
 南北両朝と十四世紀の動乱
3 近代は武家と天皇をどう見たか
 近代日本国の岐路
 武家の遺産
 再びの武家か、天皇か
 
【著者】
関 幸彦 (セキ ユキヒコ)
 日本中世史の歴史学者。1952年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻博士課程修了。学習院大学助手、文部省初等中等教育局教科書調査官、鶴見大学文学部教授を経て、2008年に日本大学文理学部史学科教授就任。23年3月に退任。
 
【抜書】
●九変五変(p32)
 新井白石『読史余論〈とくしよろん〉』より。天皇の流れ「本朝大勢の九変観」と、武家を主軸とした「当代に及ぶ五変観」。
《九変》
 一変……藤原義房、摂政就任(幼帝・清和天皇:在位858-876)。外戚政治の始まり。
 二変……藤原基経、関白就任(宇多天皇:在位887-897)。藤原氏の外戚専権。
 三変……冷泉(在位967-969)~後冷泉(在位1045-1068)の八代、藤原氏による外戚専権の定着。
 四変……後三条天皇(在位1068-1073)の政治(親政)。
 五変……白河上皇の政治(院政)。
 六変……武家(鎌倉殿)による兵馬権の分掌。
 七変……北条氏の政治。
 八変……後醍醐天皇の政治(親政)[建武の新政]。
 九変……南北朝、分立の時代。
《五変》
 一変……源頼朝の鎌倉開府。
 二変……北条義時の執権政治。
 三変……足利尊氏の室町開府。
 四変……織田信長・豊臣秀吉の治世。
 五変……当代=徳川家康の江戸開府。
 本朝の六変と武家の一変、本朝七変と武家二変、本朝九変と武家三変が対応。 
 光孝天皇(在位884-887)以前の上古は、天皇が文武を兼ねる理想の時代として解されている。上古聖代観。
 
●天皇名の変化(p43)
 宇多天皇以下、醍醐、村上といった京都の地名や御所名を冠する天皇が続く。諡号から追号へ。50代桓武天皇までが大枠では漢風諡号、51代の平城は、縁の深い場所が天皇名に付された。52代嵯峨および53代淳和も別邸や後院に由来。54代仁明〈にんみょう〉および55代文徳は漢風諡号、56代清和および57代陽成の幼帝が追号、となっている。
 当該期の律令システム(中国的グローバリズム)から王朝システム(日本的ローカリズム)への推移と対応。摂政・関白の登場とも関係している。
 三変の冷泉院の号に示されるように、天皇に対しても「~院」の表現が一般化する。
 
●健全なる野党(p164)
〔 そもそも武家とは武力を職能とした権門の呼称で、武士の個々を統括する役割を担っていた。その点では武家の使命の一つは、京都王朝と対峙しつつ、武家に結集する個々の武士たちの権益を保護することだった。武家が朝家との関係で公的に認知された幕府は、その限りでは武士たちの剝き出しの暴力的欲望を統御する役割も担った。武家とは個々の武士にとって、敵とも味方ともなり得る存在だった。そこに“健全なる野党”としての武家の存在意義があった。武家はかくして自己の存在意義をかけて闘うことになった。道理主義と対峙する、綸旨主義に対してである。〕
 
(2024/1/4)NM
 
〈この本の詳細〉


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