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ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人
 [歴史・地理・民俗]

ヒュパティア:後期ローマ帝国の女性知識人
 
エドワード・J・ワッツ/著 中西恭子/訳
出版社名:白水社
出版年月:2021年11月
ISBNコード:978-4-560-09794-6
税込価格:3,960円
頁数・縦:218, 58p・20cm
 
 古代アレクサンドリアに生きた美貌の女性哲学者の生涯について考察する。
 といっても、彼女の著作は残っていないし、彼女に言及する数少ない史料(シュネシオスの書簡など)と、当時のローマ世界の状況や女性哲学者の事例などを通して推測するしかない。その副産物として、古代地中海世界の様子がわかっておもしろい。特に、現在の学校とは随分と違う、当時の教師と生徒との関係、学び方などが興味深い。
 
【目次】
大斎の殺人
アレクサンドリア
幼年時代と教育
ヒュパティアの学校
中年期
哲学の母とその子どもたち
公共的知識人
ヒュパティアの姉妹たち
路上の殺人
ヒュパティアの記憶
近代の象徴
伝説を再考する
 
【著者】
ワッツ,エドワード・J. (Watts, Edward J.)
 古代末期地中海世界における宗教史・社会史・インテレクチュアル・ヒストリーを専門領域とし、イェール大学で博士号(Ph.D)を取得。カリフォルニア大学サンディエゴ校教授。人文学部歴史学科長、アルキヴィアディス・ヴァシリアディス・ビザンツ史寄付講座長。
 
中西 恭子 (ナカニシ キョウコ)
 東京大学大学院人文社会系研究科研究員。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て津田塾大学ほか非常勤講師。東京大学文学部西洋史学科卒業、東京大学大学院人文社会系研究科欧米系文化研究専攻西洋史学専門分野修士課程修了、東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。古代末期地中海宗教史。西洋古典受容史。
 
【抜書】
●セラぺイオン(p19)
 キリスト教の教会となっていた威風堂々たるカイサレイオンに対し、セラぺイオンは伝統的多神教側の神殿として目立つ存在だった。
 セラピス神を祀っていた。イシスの配偶者にして、ゼウスの至高性とアスクレピオスの癒しの力を併せ持つ、ヘレニズム化されたエジプトの神。
 アレクサンドリアの最も高い丘に鎮座し、アテナイのパルテノン神殿やローマのカピトリウム神殿のように、この都市の大半から見ることができた。
 宝石で飾られた華麗な神像、色とりどりの大理石、貴金属、希少な木材が神殿の内側を飾り、中心には黄金と象牙で作られたセラピス神の強大な立像が安置されていた。
 4世紀初頭、アレクサンドリアには2,400もの神殿があった。住宅20軒に1基。
 カイサレイオン……もともとは、ユリウス・カエサルを顕彰するためにクレオパトラ7世によって建てられた神殿。のち、アレクサンドリア主教の管理下に置かれ、この都市の最も有名なキリスト教会となった。
 
●50万本(p24)
 アレクサンドリアの王立図書館(※通称アレクサンドリア図書館?)は、ムーセイオンの敷地内にあった。世界最大のギリシャ語写本コレクションが収蔵されており、最盛期には50万本のパピルス巻子本を所蔵していた。
 王立図書館は、BC2世紀末には衰退しはじめた。
 BC48-47年、ユリウス・カエサルによって市内は火災に見舞われ、図書館蔵の多くの書物を破損した。建物自体は残ったので、マルクス・アントニウスがクレオパトラ7世に贈ったペルガモンのヘレニズム図書館の蔵書によってコレクションが補充された。
 蔵書があふれ、AD1世紀末までには、カイサレイオン境内とクラウディアヌムの諸神殿の境内の主要な図書館に蔵書の一部を置いていた。
 セラぺイオン境内にあった図書館も、主要な「分館」のひとつ。ヘレニズム時代後期には約4万3000本のパピルス巻子本を収蔵していた。4世紀末のローマ時代には70万点を超える著作を収蔵していた。
 
●355年(p32)
 ヒュパティアは、355年頃、哲学者・数学者テオンとその妻の娘としてアレクサンドリアに生まれた。〔先行研究は、ヨアンネス・マララスに従って、415年に死んだときヒュパティアは年配だったとする。〕(第2章 注1より)
 ※平凡社『世界大百科事典』や『岩波世界人名大辞典』によると、生年が370年頃となっている。
 
●415年(p148)
 総督オレステスは、私邸でヒュパティアと定期的に面会していた。そこに、宗教上の帰属も様々なアレクサンドリアのエリート集団が集うようになった。キュリロス主教との摩擦を最小限におさえる形で都市の緊張をどう統御したものかと議論していたようだ。
 415年3月、教会の誦経者(しょうけいしゃ)あるいは執事であったペトロスが率いる集団が、ヒュパティアを襲った。おそらく、殺害の意図はなく、オレステスへの助言という公的役割から手を引かせようと脅すつもりだった。
 教えている時だったか、馬車で家に戻る時だったか、人目のあるところで群衆はヒュパティアを見つけた。
 ヒュパティアは街路を引きずられて、アレクサンドリアの海辺にあるカイサレイオンの教会に連れていかれた。群衆は彼女の衣服をはぎ取り、屋根瓦の破片で身体を切り裂いた。ある史料によれば、彼女の両眼をくり抜いたという。
 ずたずたに切り刻まれた遺骸はキナロンという場所に運ばれて燃やされた。
 
【ツッコミ処】
・をを!!
〔 テオフィロスはそのかわり、伝統的な宗教との対立で皇帝の上をゆくことで、自身のキリスト教徒としての真正性をを誇示する道を選んだ。(後略)〕
  ↓
 珍しい誤植である。目立つ。
 
(2022/5/4)NM
 
〈この本の詳細〉


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