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未完の西郷隆盛 日本人はなぜ論じ続けるのか
 [歴史・地理・民俗]

未完の西郷隆盛―日本人はなぜ論じ続けるのか―(新潮選書)
 
先崎彰容/著
出版社名:新潮社(新潮選書)
出版年月:2017年12月
ISBNコード:978-4-10-603820-4
税込価格:1,430円
頁数・縦:268p・20cm
 
 明治維新から150年を経た現在、なぜ日本人は、西郷隆盛を論じ続けるのかを、主に5つの著作・論者を題材にして問う。
 福沢諭吉、中江兆民、頭山満、橋川文三、江藤淳。五者五様とも言うべきこの5人とも、「日本の近代化に対して違和感を抱き、西郷隆盛という人間の生涯をつうじて、日本の『近代』を洞察し、その特徴をあきらかにしようと試みたのだ。そして西郷のなかに、処方箋を見いだそうとした」(p.239)。彼らがとらえた西郷は、明治維新という近代化を推進した一方で、最後は近代化の流れに抵抗し、死を選んだ、という矛盾を含んだ姿である。西郷は、「反近代の偶像」だったのだ。
 さらに言えば、彼ら5人、そして日本人の多くは、西郷に「政治家・西郷」を追い求めたのではなかった。西郷に政治家としての力量や理想像を問うてきたのではない。「近代社会のなかでどう生きればよいのか、どう死ねばよいのかを考えるとき、日本人の心のなかに西郷はその魔術的な魅力で大きな姿を現してくる」(p.247)。
 西郷の理想とする日本は誕生しなかった。西郷は志半ばで、もしくは志を諦めたのちに死を選ぶことになる。そんな姿も、「未完」の西郷隆盛を意味しているのかもしれない。
 
【目次】
第1章 情報革命―福澤諭吉『丁丑公論』と西南戦争
第2章 ルソー―中江兆民『民約訳解』と政治的自由
第3章 アジア―頭山満『大西郷遺訓講評』とテロリズム
第4章 天皇―橋川文三『西郷隆盛紀行』とヤポネシア論
第5章 戦争―江藤淳『南洲残影』と二つの敗戦
終章 未完―司馬遼太郎『翔ぶが如く』の問い
 
【著者】
先崎 彰容 (センザキ アキナカ)
 1975年、東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒。東北大学大学院博士課程を修了、フランス社会科学高等研究院に留学。2016年より日本大学危機管理学部教授。専門は日本思想史。
 
【抜書】
●情報革命(p56)
 明治維新期、近代化によって情報革命が起きた。蒸気、電信、郵便などの発達。
〔 つまり情報革命の時代とは、情報を拡散しても、逆に管理しても、人びとの心を不安定にさせてしまう、非常に厄介な時代なのである。〕
 
●チフィジン(p178)
 聞得大君(チフィジン)。南島地域で最高位にある巫女。
 各村落には、宗教的権威をもった土着の巫女がいて、「ノロ」と呼ばれる。
 ノロは最高の権威であるチフィジンの支配下にはいっており、この組織編成から逸脱した巫女は、「ユタ」と呼ばれている。
 ユタは遍歴巡廻を特徴とし、村々を歩いて祈禱をし、お布施をもらうことで生計を立てていた。
 
(2022/1/8)NM
 
〈この本の詳細〉


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