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サッカーアナリストのすゝめ 「テクノロジー」と「分析」で支える新時代の専門職
 [スポーツ]

サッカーアナリストのすゝめ 「テクノロジー」と「分析」で支える新時代の専門職 (footballista)
 
杉崎健/著
出版社名:ソル・メディア(footballista)
出版年月2:021年4月
ISBNコード:978-4-905349-55-6
税込価格:1,870円
頁数・縦:254p・19cm
 
 日本のサッカー界では定着しているとは言い難い「アナリスト」について、その仕事内容や試合の分析の仕方、そのためのツールなどについて解説。アナリストを目指す人でなくても、サッカーの見方の参考になる。
 
【目次】
Introduction アナリストとは何か?
Method 1 アナリストに求められるスキル
Method 2 アナリストが担う役割
Special Dialogue 1 特別対談:渡邉晋×杉崎健 監督が新時代のアナリストに求める力
Method 3 アナリストの試合の見方
Method 4アナリストが活用するデータ
Method 5 アナリストとコミュニケーション
Special Dialogue 2 特別対談:森岡亮太×杉崎健 選手目線で迫るアナリストの実像
Method 6  ナリストが過ごす1週間のスケジュール
Method 7 アナリストが駆使するデジタルツール
Case Study 第100回天皇杯決勝分析
 
【著者】
杉崎 健 (スギザキ ケン)
 プロサッカーアナリスト。日本大学卒業後、データスタジアム株式会社に入社。サッカーのデータ分析やソフトウェア開発に携わる。同時に、Jリーグ各クラブへの分析ソフトウェアの販売や、データ分析のサポート、東大ア式蹴球部分析チームの立ち上げに寄与したのち、2014年にヴィッセル神戸の分析担当としてクラブ入りし、2016年にはベガルタ仙台の分析担当に就任。2017年から2020年まで横浜F・マリノスのテクニカルスタッフを務め、2019年にはビデオアナリストとして同クラブの15年ぶりのJリーグ制覇に貢献した。2021年よりアナリストとして培った知識や技術を日本サッカーに還元するため、フリーランスとして活動を開始。Jリーガーのパーソナルアナリストや東大ア式蹴球部のテクニカルアドバイザーとして活動しながら、自身が運営するオンラインサロン“Cip”でアナリスト養成に注力している。
 ちなみに、アナリストに求められる能力とは、複雑なものを分解し(分析)、それをまとめて伝達する力、ということになるらしい。
 
【抜書】
●時間帯ごとの注意点(p95)
 サッカーの試合を分析するとき、時間帯ごとに局面の見方がある。
 0~15分……システムの確認。チームの狙いを読み解く。
 15~30分……ビルドアップ。「自陣での攻撃」「敵陣での守備」。
 30~45分……「敵陣での攻撃」「自陣での守備」。ピッチのどのエリアを攻略しようとしているか。
 45~60分……「変化」の確認。「ビルドアップ」の確認。
 60~75分……「選手交代による変化」、ベンチワークを見る。「スピードの変化」。
 75~90分……各選手のメンタリティやバイタリティ。特に声掛け。「四つの局面」を重要視しない。
 
(2021/11/22)NM
 
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競輪という世界
 [スポーツ]

競輪という世界 (文春新書)
 
轡田隆史/著 堤哲/著 藤原勇彦/著 小堀隆司/著
出版社名:文藝春秋(文春新書 1289)
出版年月:2020年11月
ISBNコード:978-4-16-661289-5
税込価格:990円
頁数・縦:255p・18cm
 
 競輪の仕組みと沿革、そして魅力を、競輪愛に満ち溢れた4人の著者が綴る。『ぺだる』創刊号から29号最終号まで、7年半連載された「競輪事始」を元に、大幅に加筆して成立したのが本書のようだ。「おわりに」には、エッセイ「競輪文学散歩」は轡田が執筆、1・2章が小堀、3・4章は小堀と堤、5・6章は堤、7章は小堀と堤、8章は藤原が担当、とある。
 「けいりん」、そもそもは「きょうりん」と発音されていたらしい。国際競技の種目名は、「Keirin」。
 
【目次】
第1章 競輪とはなにか
第2章 競輪選手という仕事
第3章 スーパースター&レジェンド列伝
第4章 ケイリン、世界に羽ばたく
第5章 競輪ことはじめ
第6章 地方と競輪
第7章 変わりゆく競輪
第8章 競輪と補助事業
 
【著者】
轡田 隆史 (クツワダ タカフミ)
 ジャーナリスト。1936年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。朝日新聞社で、社会部デスク、編集委員、論説委員などを歴任、夕刊コラム「素粒子」を担当した。著書多数。
 
堤 哲 (ツツミ サトシ)
 ジャーナリスト。1941年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。元毎日新聞編集委員。JKA広報誌『ぺだる』に「競輪事始」を連載。
 
藤原 勇彦 (フジワラ イサヒコ)  
 ジャーナリスト。元朝日新聞記者。朝日マリオン21取締役編集長、森林文化協会常務理事などを歴任。JKA広報誌『ぺだる』で補助事業の現場レポートを執筆。
 
小堀 隆司 (コホリ タカシ)  
 ノンフィクション・ライター。1971年生まれ。平成15年度Numberスポーツノンフィクション新人賞受賞。陸上や体操などを中心に取材・執筆。
 
【抜書】
●競輪選手(p14)
 日本にいる競輪選手は2,325人(うち136人が「ガールズケーリン」選手)。2019年12月現在。
 男子は、S級S班、S級1班、S級2班、A級1班、A級2班、A級3班の6クラスに分かれる。ポイント制で、S級S班は9名のみ。
 女子は、L級1班のみ。
 
●レースのグレード(p25)
 KEIRINグランプリ(GP)……賞金1億円、毎年12月30日に実施。出場者9人は、GⅠの優勝者と、年間獲得額上位者のみ。
 GⅠ……「特別競輪」。GⅡよりさらに格式が高い。日本選手権競輪(通称・ダービー)、オールスター競輪、朝日新聞社杯 競輪祭、高松宮記念杯競輪、寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント、読売新聞社杯 全日本選抜競輪、の6つ。
 GⅡ……「特別競輪」。S級選手の中で、賞金獲得額や成績など一定の基準を満たした選手のみが出場する。
 GⅢ……S級の選手のみ。
 FⅠ……S級戦が5レース、A級戦が6レース。様々な選手が見れらる。
 FⅡ……A級の選手だけが出場。若手の登竜門。
 
●サッカーの試合(p33、轡田)
 轡田は、埼玉県立浦和高校サッカー部で、2回、全国優勝を体験。
 1950年代、高校サッカー全国大会の埼玉県の県予選決勝は大宮競輪場の芝生で行われた。
 早慶定期戦は、後楽園競輪場の芝生で行われた。
 
●オリンピック(p88)
 近代オリンピックの第1回大会である1896年のアテネ大会から、現在まで途切れずに続いている競技は、自転車、陸上、競泳、体操、フェンシングの5競技。
 アテネ五輪の4年後の1900年に、国際自転車競技連合(UCI)が結成された。設立総会に参加したのは、フランス、アメリカ、ベルギー、イタリア、スイスの5か国。本部はパリに置かれ、公用語はフランス語。フランス語を話せないと審判になれなかった。
 
●競輪とケイリン(p91)
 1980年、「競輪」が「男子プロ・ケイリン」として世界選手権の正式種目に加えられる。93年以降は、プロ・アマオープンになる。
 2000年のシドニー五輪から、「KEIRIN」として正式種目に採用される。
 競輪……バンクがコンクリートで、1周が333.3mから500m。自転車には、鋼製のフレーム(クロムモリブデン鋼)を使用。
 ケイリン……バンクは木製で、250m。自転車のフレームは軽いカーボン。ギアの重さも制限がない。個人戦のため、ラインがなく、牽制のための横の動きがない。
 
●加藤一(p94)
 1925-2000年。東京・神田小川町生まれ。元競輪選手で画家。競輪の国際化に貢献。著書に『風に描く――自転車と絵画』(文藝春秋)。
 同級生の母親で、滋野清武男爵夫人ジャンヌから、絵と自転車の魅力を教えてもらう。
 中学時代には、毎日のように本郷本富士町の土屋製作所(初期の競輪優勝選手の多くが乗っていたエベレスト号を製作)に遊びに行った。
 法政大学予科に入学、自転車部に所属。
 学徒出陣後、法政に復学するも、東京美術学校図案科を受験して合格。しかし、学士が続かず、法大自転車部に逆戻り。
 戦後、国体で活躍。1952年ヘルシンキ五輪の代表に内定していたが、空襲で焼け残った神田小川町の自宅に課された30万円の税金を払うため、1950年2月、川崎競輪でプロに転向する。
 1951年日本プロフェッショナル・サイクリスト連合(JPCU。一般社団法人日本競輪選手会の前身)を結成。タブロイド紙『プロサイクリスト』を創刊して編集長に。
 1957年、日仏交歓プロ自転車競技大会に際して、日本自転車競技連盟(FJC)をUCIに加盟させる。
 1958年、パリで行われた世界選手権の日本チームの監督として渡仏、そのままパリに残って本格的に絵画の修業を始める。フランス画壇では、エコール・ド・パリの抽象画家として知られるようになる。
 
●75%(p119)
 競輪は、地方自治体が主催し、収益の75%を払戻金に、残りはいったん自治体の管理下に入る。
 競輪に出場する選手の登録や斡旋、売り上げの一部を拠出する補助事業などを行う団体として、自転車振興会連合会(のちの日本自転車振興会、現JKA)が、1948年に設立された。
 競輪とオートレースの監督官庁は経済産業省。競馬は農林水産省、ボートレースは国土交通省。
 
●ジャン(p144)
 先頭の選手が、バック・ストレッチ・ライン(ゴールから半周の線)を残り1周半で通過するときに打ち始める打ち鐘。
 半鐘型(通称・梵鐘)、洋鈴型、銅鑼の3種類がある。
 
●下重暁子(p204)
 しもじゅう あきこ、1936-、作家、元NHKアナウンサー。
 2005年、日本自転車振興会(現・JKA)の第12代会長に就任。初めて訪れたいわき平競輪場での光景を描いたエッセイが縁で、同振興会の運営委員を務めていた。
 女子競輪(ガールズケイリン)の復活に貢献。橋本聖子参議院議員との会話がきっかけだった。
 広報誌『ぺだる』を創刊。(p254)
 
●約2兆円(p239)
 競輪事業の売り上げは、1991年度の約1兆9550億円がピーク。
 2013年度には6063億円にまで下がり、その後、やや持ち直し、2019年度は約6605億円となっている。
 
【ツッコミ処】
・公益財団法人JKA(p30)
 随所でJKAという「略称」が出てくる。競輪に関する団体であることは推測がついたが、ずっと、なんだろうと疑問に思っていた。改めて調べたら、どうやら初出は30ページ、〔車券はインターネットでも購入が可能なので、興味があれば公益財団法人JKAの公式サイト(KEIRIN.JP)を覗いてみてほしい。〕とある。
 で、KEIRIN.JPではなく、「公益財団法人JKA」のほうを検索してみた。
 なんと、「JKA」とは略称ではなく、これで正式名称らしい! 「Japan Keirin Autorace foundation」が英語名称あるいはJKAのもとの意味らしいのだが……。競輪だけでなく、オートレースにも関わっているようだ。
 主な業務内容は、「競輪とオートレースの選手・審判員や、自転車・小型自動車の登録、競輪とオートレースの実施方法の制定、選手の出場あっせん、養成・訓練を行うほか、自転車・小型自動車等機械工業の振興、体育事業その他の公益の増進を目的とする事業に対する補助等を行っています」とあって、設立は平成19年8月23日(https://www.keirin-autorace.or.jp/about/profile.html )。
 ちなみに、JKAの説明は、本書の最後の最後にあった。〔1957年の自転車競技法改正で、日本自転車振興会(後のJKA)が成立し、補助事業を直接主管するようになった〕(p.243)とある。JKAの活動を詳しく説明している。
 ところでもう一つ疑問に思ったこと。それは、「佐藤慎太郎(福島)」(p.15)のように、随所で選手名の後ろに括弧入りで県名が記されいることだ。選手の出身地か? あるいは、競輪の主催は地方自治体なので、選手もどこぞかの主催自治体に所属している、ということなのだろうか?
 こちらの疑問の答えは、まだ明らかになっていない。
 
(2021/1/29)KG
 
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サラリーマン球団社長
 [スポーツ]

サラリーマン球団社長 (文春e-book)
 
清武英利/著
出版社名:文藝春秋
出版年月:2020年8月
ISBNコード:978-4-16-391251-6
税込価格:1,760円
頁数・縦:325p・20cm
 
 阪神電気鉄道航空営業本部旅行部の部長から、阪神タイガース常務取締役に「異動させられた」野崎勝義と、松田元の誘いに乗って東洋工業株式会社を辞職し、広島東洋カープに「人生の半分を預けた」鈴木清明という、「プロ野球球団幹部」二人の、サラリーマン人生と球団改革の軌跡を描いたルポルタージュである。
 執筆したのが、元読売巨人軍球団代表のノンフィクション作家というのも興味深い。主人公二人の行動を描くなかで、本人も登場するし、球界の知られざる裏話をさりげなく披露する。
 『週刊文春』2019年12月12日号~2020年5月28日号に連載された「サラリーマン球団社長 阪神と広島を変えた男たち」に加筆・修正して単行本化。
 
【目次】
第1章 傍流者の出向
第2章 赤貧球団なんでも屋
第3章 あきらめたらあかん
第4章 焼肉丼の味
第5章 下剋上人事
第6章 主流派との闘い
第7章 マネー・ボールのあけぼの
第8章 社長室はソロバンをはじいた
第9章 血を流す覚悟はあるか
第10章 「コア」をつかめ
第11章 サクラサク
第12章 ボロボロになる前に
第13章 枯れたリーダー
第14章 耐雪梅花麗
 
【著者】
清武 英利 (キヨタケ ヒデトシ)
 1950年宮崎県生まれ。立命館大学経済学部卒業後、75年に読売新聞社入社。社会部で警視庁、国税庁を担当し、2001年より中部本社社会部長。東京本社編集委員などを経て、04年8月に読売巨人軍球団代表兼編成本部長。11年11月、専務取締役球団代表兼GM・編成本部長・オーナー代行を解任され係争に。現在はノンフィクション作家。14年に『しんがり 山一證券 最後の12人』(講談社)で講談社ノンフィクション賞受賞、18年には『石つぶて 警視庁二課刑事の残したもの』(講談社)で大宅壮一ノンフィクション賞読者賞受賞。
 
(2021/1/20)KG
 
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フットボール風土記 Jクラブが「ある土地」と「ない土地」の物語
 [スポーツ]

フットボール風土記  
宇都宮徹壱/著
出版社名:カンゼン
出版年月:2020年12月
ISBNコード:978-4-86255-574-8
税込価格:1,870円
頁数・縦:285p・19cm
 
 JFLや、全国に9つある地域リーグで活動するサッカーチームを取材したルポルタージュ。地方ならではの魅力がいっぱい詰まった12チームを紹介する。
 しかし、なぜタイトルが「サッカー」ではなく「フットボール」なのか? 前作は「サッカー」と銘打っているのに……。「ふどき(風土記)」との語呂合わせか??
 
【目次】
第1章 かくも厳しき全国リーグへの道―全国地域サッカーチャンピオンズリーグ‐2016年・霜月
第2章 親会社の都合に翻弄されて―三菱水島FC‐2017年・睦月
第3章 県1部からJリーグに「否」を叫ぶ―いわきFC‐2017年・長月
第4章 女川町に     JFLクラブがある理由―コバルトーレ女川‐2018年・睦月
第5章 ワールドカップとJFLをつなぐもの―FC今治‐2018年・文月~霜月
第6章 世界で最も過酷なトーナメント―全国社会人サッカー選手権大会‐2018年・神無月
第7章 サッカーを変える、人を変える、奈良を変える―奈良クラブ‐2018年・師走
第8章 アマチュア最高峰であり続けるために―FCマルヤス岡崎‐2019年・卯月
第9章 最大の「Jクラブ空白県」でのダービーマッチ―ホンダロックSC&テゲバジャーロ宮崎‐2019年・皐月
第10章 なぜ「71番目のクラブ」は注目されるのか?―鈴鹿アンリミテッドFC‐2019年・水無月
第11章 北信越の「Fの悲劇」はなぜ回避されたのか?―福井ユナイテッドFC‐2019年・文月
第12章 クラブ経営の「属人化」をめぐる物語―北海道十勝スカイアース‐2019年・葉月
第13章 令和最初のJFL昇格を懸けた戦い―全国地域サッカーチャンピオンズリーグ‐2019年・霜月
第14章 蝙蝠と薔薇の街で胎動する「令和的戦略」―福山シティフットボールクラブ‐2020年・文月
第15章 多様性の街から「世界一のクラブ」を目指す理由―クリアソン新宿‐2020年・文月~葉月
 
【著者】
宇都宮 徹壱 (ウツノミヤ テツイチ)
 1966年生まれ、東京都出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了。TV制作会社勤務を経て97年より写真家・ノンフィクションライターとしての活動を開始。2010年に『フットボールの犬』(東邦出版)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞、2017年に『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ目指さないクラブ』(カンゼン)で第4回サッカー本大賞受賞。16年より『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信中。
 
【抜書】
●三菱水島FC
 1946年、三菱自動車工業株式会社水島製作所のサッカー部として誕生。
 JFLで5シーズンを戦った後、2009年にJFL退会。退会後も同じ名称で存続し続けたのは、三菱水島のみ(国士舘大学を除く)。
 県リーグ1部からの再スタートとなった。残ったメンバーは7人。必死でかき集めたが、監督の熊代正志もメンバー登録し、55歳で1試合だけ途中出場でピッチに立った。
 1年で中国リーグに復帰。以後、JFLへの昇格は、会社の事情で辞退し続ける。
 
●いわきFC
 クラブのスローガン……日本のフィジカルスタンダードを変える。
 代表取締役社長、大倉智。1969年生まれ。早大卒、日立製作所入社。柏レイソル、ジュビロ磐田、ブランメル仙台、などでプレー。引退後、ヨハン・クライフ国際大学でスポーツ・マネジメントを学び、セレッソ大阪のチーム統括ディレクター、湘南ベルマーレ強化部長、同GM、同代表取締役社長(46歳)を歴任。
 アンダーアーマー日本総代理店の(株)ドーム代表取締役CEOの安田秀一から誘われ、いわきFCに。
 選手たちは、ドームいわきベースで働く。いわき市に、30人の雇用を確保した?
 練習場の「いわきFCフィールド」(人工芝)は、日時限定で一般に無料開放。子供たちの遊び場に。
 クラブハウスの「いわきFCパーク」は、商業複合型。アンダーアーマー直営のアウトレットショップ、アトランティック・カーズ(ロータス、アストンマーティンなどを扱う販売店)のショールーム、英会話のフリーコム、浅草今半、寿司正、矢場とん、などが入る。
〔 いわきFCパークといわきFCフィールド。両施設を訪れてみて、気づいたことが3点ある。第1に、クラブの巧みなイメージ戦略。第2に、スポーツ施設を通してお金が回る仕組み作り。そして第3に、地域コミュニティの場としての機能である。〕
 「いついつまでにJリーグ入り」という考え方はしない。
 
●人工芝(p65)
 スタジアム建設に関する、いわきFC((株)ドーム)安田の発言。
 「スタジアムについては、最初から『ランボルギーニ』を目指します。つまり、日本ではあり得ないような、機能的なスタジアムをドンと作る。ただし、サスティナブル(持続可能)なスタジアムを作るためには、Jリーグが推奨する天然芝がネックになるのです。JFLでも、天然芝でないと試合ができないですよね。ですから、そこまでたどり着いたら『人工芝でもいいじゃん』って説得したいと思っています。いずれにせよ、日本のスタジアム改革の雛形にになるものを、僕らが作らなければならない。それくらいの使命感を持っていますよ」
 
●コバルトーレ女川
 東北大震災後、女川町運動公園が練習場として使えなくなり、石巻の人工芝グラウンドで練習するようになった。フルコートの四分の一しかなく、そこで11対11の練習をしていたので、正確なパスサッカーが身についた。
 創設者は、石巻日日新聞代表取締役社長の近江弘一。原発の補助金により充実したスポーツ施設を生かした「スポーツコミュニティ構想」を提唱。
 創設は2006年。初代監督は、元日本代表の藤島信雄。
 スポンサーの高政は、地元の水産加工業。選手を正社員として雇用。引退後、管理職になる者も。
 
●FC今治
 1976年、旧大西町に設立された「大西サッカークラブ」が源流。
 1991年、越智郡を活動範囲に加え、「今越(いまお)FC」に改名。
 2004年、「愛媛しまなみフットボールクラブ」。
 2009年、「愛媛FCしまなみ」に改称、愛媛FCのセカンドチームとなる。
 2012年、「FC今治」として独自の活動を開始。
 2014年11月、岡田武史がクラブ代表に就任。運営会社(株)ありがとうサービスの代表取締役井本雅之が、岡田の大学時代の先輩だった。
 
●奈良クラブ
 それまでスポンサーだった中川政七商店会長、13代目中川政七が、2018年10月、運営会社の代表取締役社長に就任。(2020年、入場者数水増しが発覚、Jリーグ百年構想クラブの資格を解除条件付き失格となり、社長を辞任。)
 「サッカーを変える、人を変える、奈良を変える」というビジョンを抱え、ブランディング重視で様々な取り組みを行う。たとえば、中川政七商店が手掛けてきた、日本の伝統文様を前面に押し出したユニフォームのデザイン。蔦蔓紋様、霰小紋、大和蹴球吉祥文などを次々と採用。
 昇格請負人の岡山一成が、「奈良劇場総支配人」として2013年より5年間プレー。JKLに昇格。
 
●FCマルヤス岡崎
 2019年、元日本代表の森山泰行が、49歳で、選手兼チームディレクターとして現役復帰。08年にFC岐阜で現役引退後、浦和学院高校サッカー部で5年間、監督を務めていた。他に、茂庭照幸(37歳)も、C大阪から移籍。
 企業チームながら、35名のうち18名がプロ契約選手。
 県営だった竜北総合運動場が岡崎市に移管され、2021年、オープン。その日まで、JFLにいたい。
 
●テゲバジャーロ宮崎
 門川クラブという、人口1万8千人の漁師町の少年サッカーチームがルーツ。1965年誕生。
 2000年、現(?)GMの柳田和洋が地元に戻り、門川クラブのOBチームの選手兼監督に就任。03年に県1部に昇格、08年と09年に連覇。09年に拠点を門川町から宮崎市に移し、クラブをNPO法人化する。
 2010年に九州リーグ昇格。
 2015年、「テバジャゲーロ宮崎」に改称、Jリーグを目指すことに。チームも株式会社に。
 2017年、石崎信弘を監督に迎え、森島康仁や高地系治ら元Jリーガーを補強、18年にJFL昇格。
 
●鈴鹿アンリミテッドFC
 2019年、スペイン人のミラグロス・マルティネス・ドミンゲス、愛称ミラが33歳で監督に就任。UEFAプロライセンスを取得した女性監督。
 2016年から、女性向けの美容エナジードリンク「お嬢様聖水」がメインスポンサー。クラブ社長の山岡竜二が東京メトロの釣り広告で見つけ、調べたら製造元が鈴鹿にあった。
 2020年1月、ポイントサイト「アメフリ」を運営する(株)エムフロムとの間でネーミングスポンサー契約を締結、クラブ名を「鈴鹿ポイントゲッターズ」に変更。
 
●北海道十勝スカイアース
 2015年1月、藤川孝幸がソーシャルビジネス・総合スポーツサービス企業のリーフランス(株)に入社。十勝に総合型スポーツクラブを作ることを提案。2年後、スカイアースの社長に就任。2018年、胃ガンのため56歳で死去。
 2019年から、城彰二がGMに就任。
 
●クリアソン新宿
 2005年設立。立教大学の同好会のOBチームが主体。
 名前の由来は、創造=Creationのポルトガル語。「感動を創造する」から。
 Jを目指すクラブだが、新宿区にはスタジアムがない。「新国立競技場」をホームにすればいい?
 練習は週3回、落合中央公園で。水木の夜、土の朝。
 
(2021/1/16)KG
 
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改革する思考
 [スポーツ]

改革する思考  
原晋/著
出版社名:KDOKAWA
出版年月:2020年7月
ISBNコード:978-4-04-896807-2
税込価格:1,760円
頁数・縦:190p・19cm
 
 新型コロナウイルス禍の現状において、ますます意を強くした「原イズム」を語る。
 なんの疑問も持たずに現状維持、前例踏襲を受け容れるだけではだめだ。特に、未曽有の事態であるコロナ禍については、そもそも「前例」が存在しない。どう対応すればいいのか。エビデンスを集め、熟慮を重ね、覚悟を決め、自ら考えて行動する。その重要性を大いに語る。それが、「改革する思考」なのである。
 
【目次】
1 2020年はこうして始まった
2 コロナウイルス禍での決断
3 改革発想を持つ選手を育てる
4 改革する思考で、箱根駅伝だってこんなに変わる
5 MGCは改革発想の賜物だ!
6 陸上界には宝が眠っています
7 柔軟性を養うためには
終わりにかえて―改革する思考こそが、日本を変えられる!
 
【著者】
原 晋 (ハラ ススム)
 青山学院大学陸上競技部監督。同大学地球社会共生学部教授。1967年、広島県生まれ。世羅高校では全国高校駅伝準優勝。中京大学では日本インカレ5000mで3位入賞。89年に中国電力陸上競技部1期生で入部、故障に悩み5年目で競技生活を終え、同社でサラリーマンとして再スタート。その後、営業マンとして新商品を全社で最も売り上げ、「伝説の営業マン」と呼ばれる。2004年に現職に。09年に同校を33年振りの箱根駅伝出場、15年に箱根駅伝初優勝に導いた。16年の箱根駅伝では連覇と39年振りの完全優勝を達成。17年に箱根駅伝3年連続総合優勝、大学駅伝3冠。18年には大会新記録で箱根駅伝4連覇。20年には大会新記録で王座奪還を果たす。
 
【抜書】
●改革する思考(p172)
 「改革する思考」を実践するために必要なこと。
 ・理念を持つこと
 ・ビジョンを示すこと
 ・覚悟を持つこと
 
(2020/10/29)KG
 
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ホークス3軍はなぜ成功したのか? 才能を見抜き、開花させる育成力
 [スポーツ]

ホークス3軍はなぜ成功したのか?~才能を見抜き、開花させる育成力~ (光文社新書)  
喜瀬雅則/著
出版社名:光文社(光文社新書 1059)
出版年月:2020年4月
ISBNコード:978-4-334-04470-1
税込価格:1,100円
頁数・縦:380p・18cm
 
 福岡ソフトバンクホークス3軍の第1期生で第1世代の千賀滉大、甲斐拓也、牧原大成。第2世代の石川柊太。HAWKSベースボールパーク筑後完成後の第三世代、大竹耕太郎や周東佑京。実際に3軍から1軍に昇格して活躍している選手たちの逸話が面白い。失うもののない地点から始めて、夢の実現に向けて努力する若者たちの心意気と開き直った明るさが伝わってくる。育成に主眼を置き、プロ野球のすそ野を広げるという構想が、見事に成功した証といえよう。
 
【目次】
序章 「俺を使え」
第1章 3軍を創る
第2章 逸材を探せ
第3章 名古屋の運動具店
第4章 四国を沸かせた強肩
第5章 たたき上げのプライド
第6章 育成契約はリスクではない
第7章 野球の街
第8章 甲子園を超える
第9章 名門校からホークス3軍へ
第10章 イチローよりも速い男
終章 宮崎の白梅
 
【著者】
喜瀬 雅則 (キセ マサノリ)
 1967年神戸市生まれ。スポーツライター。関西学院大学経済学部卒。1990年に産経新聞社入社。1994年からサンケイスポーツ大阪本社で野球担当として近鉄、阪神、ダイエー、オリックス、中日、アマ野球の番記者を歴任。2008年から8年間、産経新聞大阪本社運動部でプロ・アマ野球を担当。産経新聞夕刊連載「独立リーグの現状 その明暗を探る」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。2017年7月末に産経新聞社を退社。
 
【抜書】
●サーバント・リーダーシップ
 実行部隊の中堅・若手のリーダーが、部隊のメンバーたちに尽くす(サーバントする)こと。
 
●6~7億円
 育成選手20人を抱えて3軍を稼働させるために、年6~7億円のコストがかかる。
 選手一人の最低年俸240万円、支度金300万円。
 選手一人当たり育成費1,000万円。
 監督・コーチ等スタッフ7~8人、年俸総額1~1.5億円。
 ソフトバンクの2019年2月決算の売上は317億7,400万円。
 
(2020/7/31)EB
 
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黙ってられるか
 [スポーツ]

黙ってられるか (新潮新書)
 
川淵三郎/著
出版社名:新潮社(新潮新書 776)
出版年月:2018年8月
ISBNコード:978-4-10-610776-4
税込価格:799円
頁数・縦:206p・18cm
 
 
 川淵三郎が、Jリーグについて、Bリーグについて、スポーツ全体について、言いたい放題。随所に正鵠を得た指摘がちりばめられていて、読んでいて気持ち良い。特に、日本トップリーグ連携機構会長として、ホッケー、バレーバール、ハンドボールの各協会の問題点を突き、改革を求めるくだりは、本書の焦眉と言えよう。
 また、渡邉恒雄との対談も一読の価値あり。お互いに高齢ではあるが、頭がしっかりしていて元気なうちに本心をさらけ出して対談することができ、本当によかった。
 
【目次】
人材は、なかなかいない
自分の価値を見極める
マスコミの価値を知る
何もしないセルフプロデュース術
指導者でチームは変わる
サッカー界の人材
日本におけるスポーツ
引き際の美学
特別対談 渡邉恒雄vs.川淵三郎―一度きちんと話してみたかった
 
【著者】
川淵 三郎 (カワブチ サブロウ)
 1936(昭和11)年大阪府生まれ。早稲田大学在学時にサッカー日本代表に選出。64年東京五輪に出場。日本代表監督などを経て、91年Jリーグ初代チェアマン、2002年日本サッカー協会会長に就任。現在は同協会相談役、日本トップリーグ連携機構会長など。
 
【抜書】
●トルシエ(p86)
〔 2002年ワールドカップの監督は、ベンゲルに断られたため、フランスサッカー連盟の紹介でフィリップ・トルシエになったが、彼の指導にどうしても納得できないところがあった。許せなかったのは、選手に手やユニフォームを引っ張れとか、アンフェアなプレーを指示していたことだ。
 それは指導者がすることではない。僕はクラマーさんの薫陶を受けたこともあって、とにかくフェアプレーが一番だと思っている。
 もちろん試合はきれい事だけでは済まない。相手に自由にプレーさせないために、反則ぎりぎりのところを、選手が自身の判断でトライするのはいいと思う。
 しかし、指導者自らが、手をひっぱれ、などと指導するとは何たることだ。トルシエの指導は、監督としてはするべきことではなかったと思っている。
 もう一つ付け加えれば、日本人を見下したようなところも気に入らなかった。黙って俺の言うことを聞け、聞いていれば間違いないんだという、頭ごなしの態度も許しがたかった。〕
 
(2018/12/13)KG
 
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マラドーナ独白 1986年のメキシコW杯
 [スポーツ]

マラドーナ独白 ー1986年のメキシコW杯ー  
ディエゴ・アルマンド・マラドーナ/著 宮崎真紀/訳
出版社名:東洋館出版社(TOYOKAN BOOKS)
出版年月:2018年6月
ISBNコード:978-4-491-03544-4
税込価格:1,944円
頁数・縦:293p/図版16p・19cm
 
 
 メキシコW杯で栄冠をつかんだアルゼンチン代表のキャプテン、ディエゴ・アルマンド・マラドーナによる、闘いの日々に関するモノローグ。
 歯に衣着せぬ物言いというか、悪口まる出しというか、あまりにもむき出しで遠慮会釈なく選手や審判、お偉いさんを批判する記述が満載である。まさに反逆者の面目躍如ではある。素行にいろいろと問題はあるが、マラドーナが大衆に好かれ、英雄視される理由の一端が、そのワルで反抗的なところにあるのだろう。
 
【目次】
第1章 誰も望まなかった代表チーム
第2章 あの何度かのミーティングでチャンピオンが生まれた
第3章 マラドーナをぶっつぶせ
第4章 マンマ・ミーア
第5章 FIFAと対決する
第6章 メキシコでラプラタ川を渡る
第7章 これもある種の決勝戦だった
第8章 マラドーナ対マラドーナ
第9章 そうとも、世界一だ
第10章 次のチャンピオン
 
【著者】
マラドーナ,ディエゴ・アルマンド (Maradona, Diego Armando)
 1960年アルゼンチン、ブエノスアイレス生まれ。史上最高の選手としてその名を挙げる者も多い、伝説のサッカープレーヤー。アルヘンティノス・ジュニオルスを皮切りにボカ・ジュニオルス、FCバルセロナでプレーしたのち、SSCナポリに移籍し、セリエAとUEFAカップで優勝を果たした。アルゼンチン代表としてもユース時代から活躍(1979年Wユース選手権日本大会で優勝)、1986年W杯メキシコ大会でフル代表チームを優勝に導いたほか、1990年イタリア大会では準優勝し、1982年スペイン大会、1994年アメリカ大会にも出場した。
 
【抜書】
●不良(p78)
 〔理由は忘れたが、俺は不良たちと一緒に、ミーティングに15分遅れて到着したんだ。パサレラによれば、パスクッリ、バティスタ、イスラス、俺は不良なんだそうだ。俺たちは外出して、少々自由な時間を楽しんだ。遅れたのはたった15分だぜ? それから俺たちは、パサレラのお説教をこんこんと聞かされた。独裁者パサレラらしい言い草だった。キャプテンが遅刻するとは何事だ、とか何とか。〕
 
●韓国(p108)
〔 だが、優勝するには試合に、いくつもの試合に勝たなければならない。まずは何より初戦だ。考えてもみてくれ、パクや、チョウや、ヨンとかいう選手たちと戦ってもし俺たちが負けたら何て言われるか! 俺たちは相手プレーヤーたちの名前も知らなかったし、ビラルド監督に至っては俺たち以上に知らなかった。ビデオを観せられたけど、誰が誰だかさっぱりわからなかった。だって、みんな同じに見えたんだ!〕
 ※なんという侮辱的発言!
 
●反逆者(p151)
 〔とにかく勝つこと。勝てば、連中(※FIFAの幹部)は俺たちの言うことにもっと耳を貸すようになるだろう。負ければ、ただの愚痴り屋と見なされる。そして俺は、絶対に愚痴り屋なんかじゃない。俺たちは反逆者だった。だが、その反逆の中には、プロとしての矜持と責任感があるとわかっていた。〕
 W杯メキシコ大会の予選リーグ第3戦ブルガリア戦が、正午キックオフだった。そんな暑い時刻に、あの標高とスモッグの中でプレーさせることに対して、FIFAのアヴェランジェ会長に抗議した。
 アヴェランジェ「選手はプレーすればそれでいい。しゃべるのは、そして決まりごとを作るのは、われわれ上層部の役目だ」
 マラドーナ「いいですか、アヴェランジェさん、われわれプレーヤーは誰の奴隷でもありません。もちろんあなたの奴隷でもない」
 
●月桂樹(p187)
 ルコック・スポルティフが作ったアルゼンチンのホーム用ユニフォームは、メキシコの暑さ対策としてメッシュになっていた。
 しかし、ビジター用は、水分がしみこむとセーターのようになる代物だった。雨中のウルグアイ戦。
 イングランド戦もビジター用だったので、代表チームのスタッフがメキシコシティーのスポーツ店40件を探し回り、2種類のサンプルモデルを持ってきた。試合の前日、その一方に決め、発注した。
 クルブ・アメリカ(アルゼンチン代表の合宿所)付きの二人の仕立て屋が、エンブレムを刺しゅうしてくれた。しかし、月桂樹を付けるのを忘れた!
 背番号は、銀色のラメ入りだった。〔ピッチに出たとき、まだ顔がきらきらしているやつが何人かいたよ。〕
 
●ドバイ(p292、訳者あとがき)
 マラドーナは、現在、ドバイで王族の支援を受け、悠々自適の暮らしを送っている。
 
(2018/9/26)KG
 
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トップリーダー1%に上りつめる平田流「ハーバードKS(ケネディスクール)」思考法 超一流論
 [スポーツ]

超一流論 トップリーダー1%に上りつめる平田流「ハーバードKS」思考法
 
平田竹男/著 桑田真澄/〔ほか述〕
出版社名:双葉社
出版年月:2018年5月
ISBNコード:978-4-575-31354-3
税込価格:1,620円
頁数・縦:333p・19cm
 
 
 「一流のアスリートを、社会における超一流のリーダーに育てたい」。
 そんな志のもと、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科にある平田竹男研究室(通称:平田ゼミ)に、2006年、社会人修士課程1年制コースが開設された。1年間で、スポーツ・ビジネスに関する論文を書き上げるコースである。著名なアスリートや第一線で活躍する実業家などがその門をたたき、創設以来12期、130人の修了生を出した。
 そんななから、選りすぐりの11人の活動を紹介する。
 トップにまで上り詰めたアスリートは、単に身体能力が優れているだけではなく、問題意識、思考力にも抜きんでているんだな、ということを強く感じた。他人と違く景色を見てきた人は、視界の先にある山のその先まで見通せる、ということか。
 
【目次】
第1章 平田流ハーバードの教え
第2章 超一流育成メソッド
第3章 超一流が語る平田流ハーバードの成果
 桑田真澄(プロ野球選手 ≫ 野球指導者)
 平井伯昌(競泳日本代表コーチ ≫ 東洋大教授・水泳部監督)
 谷(佐藤)真海(パラリンピック陸上走り幅跳び日本代表 ≫ パラトライアスロン選手)
 朝日健太郎(ビーチバレー日本代表 ≫ 日本バレーボール協会理事)
 松下浩二(プロ卓球選手 ≫ 一般社団法人Tリーグ代表理事)
 伊東浩司(前・陸上男子100m走日本記録保持者 ≫ 前・日本陸上競技連盟強化委員会強化委員長)
 石山隆之(十文字高校サッカー部監督&一般社団法人十文字スポーツクラブ常務理事)
 小野寺裕司(株式会社LEOC代表取締役会長&横浜フリエスポーツクラブ代表取締役会長兼CEO)
 山下大悟(プロラグビー選手 ≫ 前・早稲田大学ラグビー蹴球部監督)
 タケ小山(プロゴルファー&ゴルフ解説者)
 原晋(青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督)
第4章 真の「超一流」とは
 
【著者】
平田 竹男 (ヒラタ タケオ)
 1960年生まれ。大阪府出身。ハーバード大学ジョン・F・ケネディスクール修了。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科教授。東京オリンピック・パラリンピック競技大会推進本部事務局長。
 
【抜書】
●星槎大学(p61)
 宮澤保夫(第8期生)、1972年に横浜で鶴ヶ峰セミナーという塾を開校。発達障碍の人が対象。通信制スクール。必ずしも毎日登校しなくてもいい。
 その後、幼稚園から星槎大学、星槎大学院まである、星槎グループを作り上げた。
 星槎大学では、日本で唯一、通信制で体育教員の免許を取得できる。
 
●努力(p99、平井伯昌)
〔 私はそれまで「才能のない人ほど努力をしなければならない」と考えていました。ですが、水泳の才能のない人は人生の途中で競技から離れていきます。才能のある人ほど競技人生は長いわけで、つまり「才能のある人ほど努力を続けなければならない」のです。〕
 
●アスリートソサエティ(p147、朝日健太郎)
 一般社団法人。スポーツを社会的な価値に還元させる目的で、トップアスリート5人(現理事)が創設。
 理事:為末大(陸上)、朝原宣治(陸上)、松下浩二(卓球)、長塚智広(競輪)、朝日健太郎(バレーボール)。
 
●ビーチの日(p152、朝日健太郎)
 7月31日は「ビーチの日」。2017年2月、一般社団法人日本記念日協会に申請、認定された。
 「なみのいい日」という語呂に合わせて日にち決定。海の日(7月第3月曜日)と、山の日(8月11日)の中間日。
 NPO法人日本ビーチ文化振興協会(朝日健太郎理事長)……美しいビーチを作り、「はだしになれる場所」を日本の沿岸部に創出することで、老若男女にとって憩いの場を提供する「はだし文化の創造」を志す。「ビーチの日」制定に尽力。10年後には国民の休日となるよう、記念日としての確立を目指す。
 
●川の流れ(p181、松下浩二)
〔 「人生に流れる川のような自然の流れに逆らわない」
 これは、自分の中で大切にしている感覚です。あえて自然の流れに身を任せてみる。すると、その流れに乗った先も見えてきて、短期的未来の展望と長期的未来のビジョンが開けてきます。そこから、「今これをやった方がいいな」という瞬間的なひらめきが出てくるのです。〕
 
●学園型総合スポーツクラブ(p214、石山隆之)
 2012年5月、一般社団法人十文字スポーツクラブを創設。東京・巣鴨大塚エリアと、埼玉・新座エリアを拠点に活動。十文字FCというクラブチームを立ち上げる。
 十文字FCには、トップの「FC十文字VENTUS(ベントス)」から、「十文字学園女子大学」「十文字高等学校」「十文字中学校」「FC十文字VENTUS U-15」の5つのカテゴリーのチームがある。
 学校のクラブ活動と、地域のサッカークラブを融合。練習は、学校のグラウンド、施設が使える。
 大学、高校のクラブに所属していても、優秀な選手は、なでしこチャレンジリーグ(3部相当)に所属するVENTUSの試合に出られる。
 選手のセカンドキャリアとして、引退後、大学に社会人入学して、幼児教育学科、児童教育学科、人間福祉学科、食物営業学科などで学び、幼稚園教諭や管理栄養士、介護福祉士などの資格を捕ることもできる。
 十文字学園女子大学は、2016年4月に、元なでしこジャパン監督の佐々木則夫が副学長に就任。
 
(2018/8/12)KG
 
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日本サッカー辛航紀 愛と憎しみの100年史
 [スポーツ]

日本サッカー辛航紀 愛と憎しみの100年史 (光文社新書)  
佐山一郎/著
出版社名:光文社(光文社新書 946)
出版年月:2018年5月
ISBNコード:978-4-334-04352-0
税込価格:972円
頁数・縦:358p・18cm
 
 
 サッカー日本代表に対するルサンチマン。
 
【目次】
第1章 戦争から東京オリンピック前夜――1920-1960年代
 消えたFA杯
 人それをサッカーと呼ぶ
 1964年東京オリンピックへ
第2章 銅メダルからの凋落――1960-1970年代前半
 第一次サッカー・ブームへ
 「紳士のスポーツ」による啓蒙と刷り込み
第3章 誰も日本リーグを覚えていない――1970年代
 神様、仏様、ペレ様
 70年代のサッカー・メディア
第4章 プロ志向の芽生え――1980年代前半
 物珍しさとしてのワールドカップ
 平壌1985
第5章 プロとアマ、その波打ち際の苦難――1980年代後半-1990年代前半
 代表監督退陣要求嘆願書
 三浦知良という光源
第6章 ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜――1992-1997年
 非願成就はバブルとともに
 出版の嵐としてのJリーグ・ブーム
第7章 岡田、トルシエ、ジーコの時代――1998-2006年
 空前の活況から、その終焉の日まで
 家から通えるワールドカップの”不幸”
終章 代表バブルから遠く離れて――2007-2018年
 起承転結の完成と新たな起点の模索
 不服の諸相と改善案
 
【著者】
佐山 一郎  (サヤマ イチロウ)
 1953年東京生まれ。成蹊大学文学部文化学科卒業。流行通信勤務等を経て、サッカー本大賞選考委員長。作家、編集者、立教大学社会学部兼任講師。著書に「「私立」の仕事」など。
 
【抜書】
●FA杯(p18)
 1919年、日本はイングランド・フットボール協会(FA)より大銀杯を寄贈され、大日本蹴球協会(日本サッカー協会/JFAの前身)とア式蹴球全国優勝大会(天皇杯の前身)を創設した。
 第1回大会は、1921年(大正10年)11月、東京日比谷公園グラウンド。この時、FA杯を大会名誉会長のエリオット駐日英国大使より授与されたは、東京蹴球団の山田午郎主将。
 1945年1月19日、FA杯は、スポーツ関係の銀器献納で姿を消した。
 
●サッカー(p27)
 Association footballを指して「サッカー」という呼称を使うのが一般的なのは、楕円球使用のフットボールが盛んなアメリカ、カナダ、オーストラリア、南アフリカ、ナミビア。そして、ゲーリック・フットボールが国技のアイルランド。カナダ(Canadian Soccer Association)とアメリカ(United States Soccer Federation)とアメリカは、連盟(協会)の名前にも「サッカー」を使用。
 
●慶應義塾体育会ソッカー部(p31)
 ラグビー開祖の慶應蹴球部の後塵を拝したことにより、2度の変更を経て「ソッカー部」に落ち着く。
 
(2018/7/28)KG
 
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