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名字の歴史 古代から現代まで、日本人の名字の由来をたどる
 [歴史・地理・民俗]

名字の歴史 (TJMOOK)
 
森岡浩/監修
出版社名:宝島社(TJ MOOK)
出版年月:2021年9月
ISBNコード:978-4-299-02062-8
税込価格:1,100円
頁数・縦:95p・30cm
 
 日本人の名字にまつわるあれこれを歴史的にたどり、ビジュアルに紹介。
 
【目次】
第1章 名字誕生前に主流だった「姓」とは?
第2章 「名字」の変遷は日本の歴史のうつし鏡
巻末特集 各地方を代表する名字55選
  
【著者】
森岡 浩(モリオカ ヒロシ)
 1961年高知県生まれ。姓氏研究家。早稲田大学政治経済学部卒業。学生時代から独学で姓氏研究を行い、文献だけにとらわれない実証的な研究を続ける。特に現在の名字分布をルーツ解明の一手がかりとする。
 
【抜書】
●周王朝(p15)
 中国では、BC10世紀頃の周の時代にはすでに一族のルーツを示す「姓」が存在していた。
 周王朝の天子は、各諸侯に土地を与えて国とし、それぞれ氏を名乗らせていたが、諸侯が勝手に地名を名字として使うことは許さなかった。そのため、結果的に名字の数は増えなかった。
 
●武蔵七党(p24)
 日本で最初に名字を名乗ったのは武蔵七党の武士ではないかと言われている。
 横山党(八王子、相模原)、村山党(所沢、川越)、児玉党(埼玉県北西部〜群馬県)、猪俣党(埼玉県北部)、西党、丹党(熊谷、埼玉県西部)、野与党(川口、春日部、久喜)。実際には7集団以上あり、西党の代わりに私市党(ささいとう:久喜、埼玉中東部)を入れる場合もある。
 
●源平の違い(p41)
 平安時代では、下賜姓は「源」と「平」に限定されるようになっていった。
 はっきりした区別はないが、天皇に直接近い人物(天皇の子どもなど)には「源」、やや遠い人物(孫や曽孫など)には「平」が与えられるという傾向が見られる。
 
●親子別姓(p42)
 平安時代中期頃までは、妻問婚が主流で、公家の男子は結婚すると妻の実家に住み込んだ。子どもが生まれると妻の実家で育てられるので、代ごとに住む家が違っていた。そのため、父親と違う名字となった。
 平安時代後期にこの風習が変わり始め、鎌倉時代になると結婚の形態が変化。子は父親と同居するようになって名字が固定化していいき、子が親の名字を継ぐようになった。
 公家の名字は、邸宅のあった京都の地名が付けらることがほとんどだった。
 
●鞆幕府(p50)
 信長に京都を追放された足利義昭は、最終的に毛利輝元の庇護を受け、鞆(とも:現在の広島県福山市)に落ち着いた。そこで鞆幕府を開いて信長に対抗した。
 信長が本能寺の変で倒れ、豊臣氏が政権を確立すると、秀吉から山城国槙島に1万石の所領を与えられ、鞆から京都に戻った後に将軍を辞している。
 
●伊藤、伊東(p89)
 伊藤……藤原北家の子孫が「伊勢国の藤原」として「伊藤」を名乗った。
 伊東……藤原南家の子孫である工藤維職(これもと)が伊豆国田方郡伊東(現在の静岡県伊東市)に住んで「伊東」を名乗った。日向国の伊東氏も同じルーツ。
 
(2022/8/25)NM
 
〈この本の詳細〉

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