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古代マヤ文明 栄華と衰亡の3000年
 [歴史・地理・民俗]

古代マヤ文明-栄華と衰亡の3000年 (中公新書)
 
鈴木真太郎/著
出版社名:中央公論新社(中公新書 2623)
出版年月:2020年12月
ISBNコード:978-4-12-102623-1
税込価格:1,056円
頁数・縦:304p・18cm
 
 古代マヤ文明を専門とする考古人骨研究者による、古代マヤ文明の概説書。マヤの王朝史や考古学の科学的研究法、バイオアーキオロジーからマヤ人の食事まで、多角的に紹介する。
 
【目次】
序章 マヤ文明研究の歴史
第1章 考古学と形質人類学―バイオアーキオロジーの誕生
第2章 南部周縁地―グアテマラ南海岸地方、エル・サルバドル、ホンジュラス
第3章 人は動く―移民動態の研究
第4章 グアテマラ高地、マヤ王国の終焉
第5章 古代の食卓―マヤご飯
第6章 ペテン地方―密林に眠る神聖王の群雄活劇
第7章 古代マヤにおける戦争
第8章 灼熱のユカタン半島を行く
第9章 肉体は文化を語る
 
【著者】
鈴木 真太郎 (スズキ シンタロウ)
 1979年生まれ。2002年上智大学外国語学部卒業。2008年ユカタン自治大学骨人類学修士課程修了。ホンジュラス共和国コパン遺跡の調査発掘・保存業務に従事。2009年ユカタン自治大学人類学部助手。2015年メキシコ国立自治大学哲文学部メソアメリカ地域研究科博士課程修了。現在、岡山大学大学院社会文化科学研究科講師。文部科学省卓越研究員事業平成30年度卓越研究員。
 
【抜書】
●加工品(p14)
〔 さらに、人骨に残される活動の印は、力学的に創出される骨格上の特徴だけではない。活動や生活様式によって栄養状態や衛生状態に悪影響が及べば、それが病変という形で現出したり、食料事情は体内に蓄積される化学的な元素の違いとして現れたりもする。つまり古人骨は遺伝的、生物学的な多様性を表すだけではない。その個人が生きた社会、文化、時代を反映する非常に強い考古情報を含むまさに“加工品”なのである。〕
 
●住居址(p16)
 古代マヤ人たちは、死者を住居の下もしくは周囲に埋葬した。
 マヤ文明圏の場合、住居址はほぼ必ずその世帯に暮らした人々の埋葬地である。
 
●時代区分(p19)
 パレオ・インディアン期……BC1万3000年頃~BC7000年頃。
 古期……BC7000年頃~BC2000年頃。狩猟採集生活から、カリブ海や太平洋沿岸部にて、すこしずつ定住傾向を強くしていく。内陸部でも、トウモロコシ、トウガラシ、カボチャ、豆類などの簡易栽培が始まる。
 先古典期……BC2000年頃~AD250年頃。
 ・前期(~BC1000年頃):メキシコ湾岸やメキシコ南部のオアハカ盆地に複雑な社会構造を持った定住農耕共同体が出現。
 ・中期(~BC400年頃):マヤ文明圏に明白な社会の階層化が起こり、世襲の為政者を伴った国家機構の端緒が見られる。
 ・後期(~BC100年頃):神聖王という概念や、マヤ文字による筆記のシステムの萌芽が見られる。
 ・終末期(~AD250年頃):ペテン地方でマヤ文明の最盛期を彩る諸王朝が勃興する。
 古典期……AD250~950年頃。ティカルやコパン、パレンケなど古代マヤ文明を代表する大都市が最盛期を迎え、芸術、数学、天文や建築など、古典期マヤ文化が絢爛豪華に花開く。神聖王の王国が「謎の崩壊」を迎え、都市が放棄される「古典期マヤ文明の崩壊」。
 ・前期(~600年頃)、後期(~800年頃):神聖王による中央集権国家が誕生・成熟し、相争う時代。
 ・終末期(~950年頃):神聖王による統治システムが衰退し、崩壊が起こり、やがて貴族による合議政治体制へと国家のあり方が変わっていく。
 
●ホヤ・デ・セレン(p47)
 AD600年前後に起きたロマ・カルデラ火山の噴火によって壊滅した、エル・サルバドルの小規模村落。古代の市井が分厚い火山灰の層に埋まる、「中米のポンペイ」ともいうべき遺跡。
 1976年に、小麦保存用のサイロを建設していたブルドーザーが偶然に発見した。
 石造りが一般的な大都市とは異なり、建物の土台が土で出来ている。
 家々の周囲には、トウモロコシやキャッサバ、その他の作物が別々の畑で計画的に栽培されていた。畑を柵で囲み、畝を作っていた。
 住人の遺体が全く残されていない。人々が、非常に迅速にかつ適切に退避することができたらしい。自然災害に対する優れた危機管理の知見が、十分に蓄積されていたと考えられる。
 
●トウモロコシ神話(p114)
 グアテマラ高地のキチェ族が植民地時代の初期に残した歴史文書『ポポル・ヴフ』のマヤ創世神話によると、人間はトウモロコシから創造されたとされている。
 神々はまず泥や木で人間を作ろうとして失敗し、トウモロコシのペーストから人間を作った。そして、初めて美しく知性のある人間が生まれたのだという。
 キチェ族のライバルであるカクチケル族の年代記にも、相似の描写がある。
 古典期でも、トウモロコシの神はマヤの神々における主神の一角であった。王はさまざまな儀式で自らを神格化し、トウモロコシと同化しようとした。
 
●ニシュタマル(p116)
 「石灰からの灰」を意味するネシュトリと「調理されたトウモロコシの生地」を意味するタマリから成る。中央メキシコのナワ語群の言語に由来。
 古代マヤに限らず、メソアメリカの全古代文明、さらに現代のメキシコ、中央アメリカでも行われている調理法。
 石灰水でトウモロコシの粒を下茹でする。その際に化学変化が起こり、トウモロコシの栄養価が高まる。カルシウムで20%、リンで15%、鉄分で37%、栄養価が上昇する。ナイアシンなどの栄養素も、人体に吸収可能な形態へ変化する。粒そのものも柔らかく美味しくなり、さらに粉末化され長期保存も可能になる。
 現在、メキシコ料理などで使われるトウモロコシの生地はほぼすべてがニシュタマルである。
 
●蛇の国(p152)
 562年の「星の戦争」以降、ティカル王朝が没落し、カラクムルを首都とする蛇の国が台頭する。古典期前期の終盤、7世紀の中頃にかけて蛇の国が最盛期を迎える。
 636年、36歳で蛇の王座に就いたユクノーム・チェーン2世が、強大な武力と政略結婚を巧みに操り、50年にわたって古典期マヤ世界に君臨する。唯一、後世の研究者に「大王」と称される人物。
 星の戦争……通常の攻撃、局地的な襲撃ではない、国と国との「征服」をかけた激突のことを、「星の戦争」と呼ぶ。562年の戦争は、マヤ文明史上もっとも有名な星の戦争である。
 
●830年(p174)
 古典期マヤの崩壊。
 830年は、古代マヤの暦で長期暦という大きな時のサイクルの一つ、第9のバクトゥンが満了する年。しかし、この大イベントを記録する石碑が見つかっている遺跡はごく少数で、この年を迎える前に大部分の都市がすでに放棄されていたと思われる。
 
●マヤの暦(p181)
 キャン……1日。マヤの暦の最小の単位。実際に古代マヤ人が使っていたことが分かっていて、名称がはっきりしている唯一の単位。
 ウィナル……20日を区切りとする。おおむね、現代人の感覚で1か月に相当する。
 トゥン……ウィナルが18(か月)集まった360日の単位。おおむね1年。
 カトゥン……約20年。
 バクトゥン……約400年。
 バクトゥンの上に、ビクトゥン、カラブトゥン、キンチルトゥン、アラウトゥンという、万年、億年に対応する時間の単位も存在する。
 マヤ文明における2012年世界の滅亡説は、BC3114年に始まった大きな時の単位が、13個のバクトゥン(約5125年)を経て2012年に満了するということに端を発している。実際には、古代マヤの観念では、時間は循環するので、大きな単位が満ちれば、次の大きな時の単位が満ち始める、と考える。
 ハアブ暦……農耕の指標として用いられた正確な太陽暦。360日+5日から成る。
 ツォルキン暦……主に儀礼や宗教行事のために使われる暦。20日×13=260日。
 ハアブ暦とツォルキン暦の組合せが大きく1周してまた最初の組合せに戻る大きなサイクル(365と260の最小公倍数。1万8980日、ハアブで約52年)が、古代マヤでの一つの節目となる。
 
●チチェン・イツァ(p232)
 古典期終末期、チチェン・イツァが、古代マヤ文明史上最強国として君臨する。AD750~800年から約100年間。
 メキシコ湾岸からユカタン半島を回って、ホンジュラス湾岸へ至る広範な交易網を築き、内陸部の河川ネットワークや陸上交易網とつなげる。
 ポポル・ナ(ござの家)……チチェン・イツァの政治機構は、ポポル・ナと呼ばれる合議場で国の意思決定がなされていた。神聖王による支配からの移行。こうした分権統治のシステムは、スペイン制服当時には「ムルテパル」と呼ばれていた。『チラム・バラムの書』という歴史書によれば、「多くの柱が並び立ち、大きく、そして広く開かれた建造物」が合議場として機能していた。
 
●ナイア(p243)
 2007年、ユカタン半島東部のキンタナ・ロー州の世界最大級のセノーテ(オジョ・ネグロ〈黒い穴〉と名付けられる)で見つかった、ほぼ完全な少女の遺骨。15~17歳、1万2000~3000年前。身長148cm、体重50㎏程度。1回以上の妊娠のあとが認められる。
 オオナマケモノやサーベルタイガーのような絶滅種の動物骨とともに発見された。
 
●オルメコイデ(p278)
 先古典期中期後半(BC700~)から後期(BC400~)に多く見られた頭蓋の変形。オルメカ亜種を意味する。オルメカ文化の土偶や石像にみられる頭の形。完全な環状タイプではなく、いくつかの平板を帯のようなものでまとめ、頭に巻き付けるようにして行われる頭蓋の変形。
 
(2021/6/30)NM
 
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メソポタミアとインダスのあいだ 知られざる海洋の古代文明
 [歴史・地理・民俗]

メソポタミアとインダスのあいだ: 知られざる海洋の古代文明 (筑摩選書)
 
後藤健/著
出版社名:筑摩書房(筑摩選書 0124)
出版年月:2015年12月
ISBNコード:978-4-480-01632-4
税込価格:1,870円
頁数・縦:292p・19cm
 
 古代メソポタミア文明が栄えた頃のアラビア湾岸の海洋文明について紹介する。それは、メソポタミア文明からインダス文明までを包含し、陸上交易と海上交易をつなぐイラン系の都市ネットワークであるという。
 日本人にはあまりなじみのない古代文明。
 
【目次】
第1章 メソポタミア文明の最初の隣人たち
 メソポタミア人の最初の足跡
 文明初期のメソポタミアと隣人たち
 ほか
第2章 イラン高原の「ラピスラズリの道」―前三千年紀の交易ネットワーク
 トランス・エラム文明
 国際的ヒット商品、「古式」クロライト製容器
 ほか
第3章 ウンム・ン=ナール文明―湾岸文明の成立
 ウンム・ン=ナール文明の成立から衰退まで
 ウンム・ン=ナール文化の墳墓
 ほか
第4章 バールバール文明―湾岸文明の移転
 バハレーン砦における都市の成立
 ファイラカ島における都市の成立
 ほか
第5章 湾岸文明の衰退
 ファイラカにおける考古学的証拠
 バハレーンにおける考古学的証拠
 ほか
 
【著者】
後藤 健 (ゴトウ タケシ)
 1950年生まれ。東京教育大学卒業、同大学院修士課程修了、筑波大学大学院博士課程中退。古代オリエント博物館研究員、東京国立博物館研究員、同西アジア・エジプト室長、同上席研究員を務め、2011年定年退職。現在同館特任研究員。西アジア考古学専攻、東海大学博士(文学)。中東各地で考古学調査に従事。
 
【抜書】
●テル、テペ、デペ、ヒュユク(p29)
 西アジアの集落遺跡の特徴。
 日乾し煉瓦または練り土や石材を主材料とする建物群からなる集落が、同じ場所で修築・改築を繰り返しつつ長期にわたって営まれ続けられたためにしだいに高くなった丘のこと。
 広い意味で、複数の住居層が重なった丘を指すこともある。
 
●ウルク・ワールド・システム(p32)
 メソポタミア南部に発したウルク期の文化は、メソポタミア全域とその周辺諸地域に急速に広がり、南メソポタミア型の都市・集落郡が広範囲に形成された。ウルクが遠隔地産物資獲得のために水陸のルートを支配するために、自らの拠点を各地に設置(植民)し、これをネットワーク化したとして、ギレルモ・アルガゼは「ウルク・ワールド・システム」と名付けた。
 
●原エラム文明(p42)
 BC3000年前後のイラン高原に、スーサを中心とする都市群のネットワークが存在した。イラン高原における史上最初の都市文明、「原エラム文明」である。
 同時期のジェムデッド・ナスル期のメソポタミアをカウンターパートとするイラン国家。
 「ウルク・ワールド・システム」の一部を前身とするものであったかもしれないが、支配したのはメソポタミア人ではなく、原エラム語を母語とするイラン高原の住民。
 シュメール初期王朝時代には、原エラム文書は減少し、メソポタミアの土器が主体を占めるようになる。原エラム文明の衰退。
 
●原ディルムン(p59)
 本書でいう「原ディルムン」とは、ハフィート期のバハレーン島のこと。オマーン半島からペルシア湾奥に至る航路の中ほどにある。BC3000年頃。イラン側のテペ・ヤヒヤの支配者が銅山開発のためにオマーン半島を植民地化した。同半島と湾岸は事実上原エラム文明の一部と化し、メソポタミア、イラン高原を含む大経済圏に取り込まれた。
 「ディルムン」とは、メソポタミアのウルク文書で銅と関係のある、域外の地名。
 
●古式クロライト製品(p78)
 テペ・ヤヒアで産出するクロライトを加工した平底の円筒形容器が主。前3000年紀末頃まで作られていた。
 「古式」クロライト製品は、通常、第一級の都市遺跡と立派な墳墓でのみ出土する。これを所有しているならば、トランス・エラム文明の構成員であることのあかし。
 
●トランス・エラム文明(p86)
 モヘンジョ・ダロで、「古式」クロライト製容器が出土している。
 インダス文明の成立には、土着のハラッパー文化の人びとだけでなく、トランス・エラム人が関与していた。メソポタミア以外の土地で、穀倉となるべきインダス河流域の平原に目を付け、開拓した。
 
●アラッタ(p68)
 メソポタミアの支配者たちが首都スーサに対して行った軍事侵略によって、原エラム文明はBC27世紀までに終焉した。その後、ネットワークの新たな司令塔=首都は、イラン高原東南部、ケルマーンに建設された新都市アラッタに移った。トランス・エラム文明の始まり。
 現在のシャハダードに比定される。
 
●マガン(p140)
 メソポタミアの史料では、銅をはじめとする必要物資の産地として、「マガン」という地名(もしくは国名)が知られている。BC23世紀ごろから登場する。
 銅は、オマーン半島内陸部で産出するので、マガンとは、ウンム・ン=ナール(島)文明を指していると考えられている。
 
●メソポタミアと湾岸との関係(p155)
〔 湾岸における古代文明は、常にメソポタミアの要求を満たすために存在した。そうするためにはいかなる努力も惜しまなかった。もちろん湾岸文明側にも莫大な利益があったからだ。バールバール文明が、成立直後の前二〇〇〇年頃に行なった重要なイノベーションは、より湾奥に位置するクウェイト沖のファイラカ島に、対メソポタミア貿易の拠点を設置したことである。そしてメソポタミア人のディルムン観もすべてここから作られた。〕
 
●ディルムン(p183)
 原ディルムン……初めて湾岸がメソポタミア、イラン高原を含む原エラム文明の大経済圏に取り込まれた、BC3000年前後のメソポタミア(ジェムデッド・ナスル期あるいはウルクⅢ期)の交易相手。
 ディルムン……BC2000年頃のバールバール文明のこと。バハレーン島を本拠地とし、ファイラカ島に出先機関を設けていた。
 
●マガン→ディルムン(p255)
〔 そもそもディルムン国(バールバール文明)は、その前身であるマガン国(ウンム・ン=ナール文明)の役割を引き継ぎ、メソポタミアとインダスにおける二つの大農耕文明の間で、イランの陸上交易文明とリンクしつつ、商業的利益を上げることを最大任務とする海上交易文明であった。前二千年紀初頭におけるメソポタミア南部の衰退、インダス文明の衰亡が、ディルムンの衰退を引き起こす契機となったのである。〕
 
●テュロス(p257)
 テュロスは、バハレーン本島のヘレニズム時代の呼称。ディルムンのアッカド語読み、「ティルムン」に由来する。
 
(2021/6/28)NM
 
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イスラーム文明とは何か 現代科学技術と文化の礎
 [歴史・地理・民俗]

イスラーム文明とは何か: 現代科学技術と文化の礎
 
塩尻和子/著
出版社名:明石書店
出版年月:2021年3月
ISBNコード:978-4-7503-5170-4
税込価格:2,750円
頁数・縦:203p・19cm
 
 世界の中世史をリードし、現代の科学文明の扉を開いた「イスラーム文明」の意義を再定義し、概観する。
 
【目次】
イスラームとは何か
ギリシア科学の受容
ギリシア文明の継承と発展―大翻訳事業
イスラームのイベリア半島征服とヨーロッパへの伝播
商業活動の発展と航海技術
エレガンスと生活文化
錬金術、数学、天文学
医学者と哲学者
西洋中世哲学への影響
イスラーム芸術の世界―アラベスクと建築
十字軍の歴史とレコンキスタ
西洋の発展―脱イスラーム文明
イスラーム文明・近代文明の源流としての意義
 
【著者】
塩尻 和子 (シオジリ カズコ)
 1944年岡山市生まれ。東京大学大学院人文社会科学研究科博士課程単位取得退学(博士(文)東京大学)。筑波大学教授、同大北アフリカ研究センター長、同大理事・副学長(国際担当)、東京国際大学特命教授、同大国際交流研究所所長を経て、筑波大学名誉教授、アラブ調査室室長。専門分野は、イスラーム神学思想、比較宗教学、宗教間対話、中東地域研究。
 
【抜書】
●ハッラーン(p33)
 ビザンツ帝国の皇帝ユスティニアヌスは、529年に、アカデメイアを閉鎖した。
 ギリシアの学問が多神教時代のものであるという理由による。プラトンがアテネに創設して以来、900年間、世界有数の研究機関として続いていた。
 これにより、ギリシア語の文献がおもにハッラーン(トルコ南東部)とジュンディーシャープール(イランの西部)の町に集められ、ビザンツから逃れてきた学者たちが中心となって、ギリシアの哲学書や科学書、医学書などが研究され、また、当時のシリア語に翻訳されていった。
 このシリア語訳のギリシア文献が、アッバース朝期になるとカリフの命令でバグダードへ移され、「知恵の館」の大翻訳事業へとつながった。
 
●学問の奨励(p35)
 アッバース朝以降、各地に展開した小王朝の時代でも、統治者たちは支配地域に科学アカデミー、学校、天文台、図書館を設立して、学問を奨励した。
 イスラームの支配者たちは、異なった民族や宗教の下で発達した科学であっても、人類の利益となる学術であれば、なんでも受け入れるという寛容で現実的な姿勢を持っていた。
 
●知恵の館(p39)
 アッバース朝の第7代カリフのマアムーン(813-833)は、古代ギリシアの学問的写本を収集してアラビア語に翻訳することを命じて、バグダードに「知恵の館」を建設した。
 翻訳事業の担い手は、ネストリウス派のキリスト教徒やユダヤ教徒であり、当初はシリア語に翻訳されていた書物をアラビア語に翻訳することから始められた。
 
●サービア教(p49)
 クルアーンに、「啓典の民とは、ユダヤ教徒、キリスト教徒、サービア教徒である」(第2章62節)と書かれている。
 サービア教徒がどのような宗教の信徒なのかについては不明。
 ハッラーンの人々は、アッバース朝からの弾圧を避け、保護民として認められるために、サービア教徒を名乗ったと言われている。
 
●トレド(p58)
 711年、北アフリカから侵攻したイスラームに征服される。
 11世紀初頭には、ベルベル系のズンヌーン朝が支配。
 1085年、カスティーリャ・レオン国王アルフォンソ6世が制服。
 トレドのムスリムの多くは、信仰の維持を認められて市内にとどまり、ムデーハルと呼ばれることになった。当時のトレドは、モサラベ(アラビア語やアラビア文化を受容したキリスト教徒)、ユダヤ教徒、北方から移住してきたキリスト教徒が存在し、3宗教の共存と軋轢の場となった。
 イスラーム文化の西方での拠点としての機能を維持し、カスティーリャ王国のもとで翻訳学校が設立された。「知恵の館」でアラビア語に翻訳された古代ギリシアの文献が、ラテン語に翻訳された。イスラーム文明を中央ヨーロッパに伝える一大中心地となった。
 
●スーフィズム集団(p62)
 イスラームの宗教は、初期には政治的軍事的征服事業によって流布した。
 後には、商人の活動によって、アフリカや中央アジア、東南アジアへ広まっていった。公式には教団組織や宣教制度を持たないイスラームが伝播したのは、政治とは無縁のイスラーム神秘主義(スーフィズム)集団の地道な草の根活動による貢献が大きい。スーフィズムは来世志向が強く、現地の諸宗教に寛容であり、土着の伝統や文化を抵抗なく取り込んでいったために、各地への伝播が促進された。
 イスラームでは、隠遁生活や出家は奨励されていない。彼らも社会の中で就業して生活の糧を得ていた。
 
●バクー油田(p91)
 9世紀に石油産業が開始された。アゼルバイジャンのバクー油田について、885年に当時のカリフが油田収入を住民に与えたことが報告されている。
 原油は蒸留技術によって精製され、燃料としてだけではなく、医薬品としても用いられた。
 マルコ・ポーロの旅行記にも、バクー油田についての記述がある。
 
●フワーリズミー(p95)
 780?-850?。ラテン名アルゴリスムス。
 おもに数学・天文学の分野で活躍した。マアムーンに見いだされ、世界地図製作などのプロジェクトに携わり、『大地の姿の書』を作成した。
 『アル=ジャブル・ワ・アル=ムカーバラ(負項除去と同類項簡約)計算の抜粋の書』は、代数学に関する世界で最初のまとまった書物。代数学をアルジェブラ(algebra)と呼ぶのは、本書が由来。
 フワーリズミーの名前から、アルゴリズム(algorithm)という言葉が生まれた。
 
●イブン・スィーナー(p109)
 980−1037。ラテン名アヴィセンナ。イスラーム世界を代表する医学者・哲学者。
 大小合わせて130点の著作が知られている。哲学や医学の分野のみならず、詩やクルアーン注釈にまで及ぶ。
 代表作は、論理学・自然学・数学・形而上学・実践哲学を含む大著『治癒の書』、理論と臨床的知見とを集大成した『医学典範』(『医学綱要』とも)。『医学典範』は、18世紀に至るまで、ヨーロッパ各地の医学校の基礎教科書として用いられた。
 
●イブン・ルシュド(p111、p115)
 1129−98。ラテン名アヴェロエス。アンダルスで活躍した哲学者・法学者・医学者。コルドバの名門の生まれ。
 『医学大全』は、16世紀までヨーロッパで用いられた。
 パリ大学の神学者たちによってラテン・アヴェロエス主義として大いに学ばれ、スコラ哲学の形成に大きな影響を与えた。
 アリストテレスの全著作の注釈書を執筆。ただし、仕えていた君主によって禁止されたため、『政治学』は未着手。1230年代以降、ラテン語に翻訳されることによって、キリスト教世界に継承されることになった。
 
●フナイン・イブン・イスハーク(p116)
 809/810−877。中世アラブ世界最大の翻訳家。
 「知恵の館」の翻訳事業において、ギリシア学術のアラブ世界への移転に最も功績のあった人物。
 ネストリウス派キリスト教徒で、医者、哲学者、文献学者。
 
●ファーラービー(p116)
 870頃−950。「アリストテレスに次ぐ第2の師」と称される哲学者。アリストテレス『オルガノン』に対する「中注釈」「大注釈」が評価された。
 文法学の見地からアラビア語を普遍的言語哲学として考察した。
 音楽理論の分野でも貢献し、今日のドレミファの音階を確立したと言われている。
 
●カラウイーイーン大学(p123)
 859年にモロッコのフェズに設立された、世界最古の大学。UNESCOとギネス世界記録によって認定。
 978年には、カイロにアズハル大学が設置された。現在もスンナ派イスラームの最高学府とされ、ムスリムでないと入学できない。
 どちらも、新教育体制に組み込まれ、男女共学の総合大学となっている。
 
●奇跡の言葉(p139)
〔 ここでいう「書道」とは聖典クルアーンの章句を書き写すことであり、いわば「写経」を意味する。そのために、書道には宗教的な意味が付与され特別な地位と栄誉とを与えられた。クルアーンはアラビア語の韻を踏んだ優れた散文詩の形式を持ち、翻訳すればその音韻の美しさは失われる。それゆえに、聖典はまさに言葉の芸術の集大成であり、奇跡の言葉とも言われるのである。したがってアラビア書道は神の奇跡を書き写すこととなり、高度な芸術であると同時に、いわば「写経」として信者の篤信的行為となった。時代、場所を問わず今日まで、全世界のムスリムによって続けられ、イスラーム世界で唯一の伝統芸術となった。〕
 
●騎士階級(p147)
 ヨーロッパでは、9世紀から10世紀にかけて「異教徒との戦争は正戦である」という理念が確立した。
 教皇たちは、ノルマン人やムスリムという異教徒に対する戦争で命を失った者は、すべて永遠の命が与えられると確約した。
 異教徒との戦争に従事する役割を持った騎士階級が台頭してきた。教会は、「神の平和」という平和促進運動を展開したが、この運動の中心となったのがクリュニー修道院だった。騎士階級は教会の指導のもとで、「神の平和」を獲得し維持するための平和軍となり、「教会によって是認され、教会のために遂行される聖戦」に従事するようになる。
 「神の平和」の定義によって、1050年からのレコンキスタも聖戦と位置づけられ、1096年以降の十字軍運動を招来することにつながった。
 
●フランク人(p153)
 十字軍に対して、同時代のアラビア語史料には「フランク人」という言葉が使われていた。
 当時のムスリムにとって、キリスト教徒は「啓典の民」で隣人であり、敵とみなしていなかった。
 また、十字軍を宗教的熱意に基づく戦士集団というよりは、異世界からの侵略者としてみていた。
 
●三大騎士団(p154)
 入植者の増大により、エルサレムや十字軍国家に駐屯した騎士修道会(騎士団)。1180年代、十字軍国家におけるヨーロッパ系の人口は10〜12万人になり、新たに入植村も建設されるようになった。
 聖ヨハネ騎士団(1113年認可)、テンプル騎士団(1119年創設)、ドイツ騎士団(1199年認可)。
 マルタ騎士団は、12世紀、十字軍時代のエルサレムで発祥した聖ヨハネ騎士団が現在まで存続したもの。1522年、当時の本拠地ロードス島がオスマン帝国によって陥落し、マルタ島に本拠地を移し、マルタ騎士団と呼ばれるようになった。現在、国土を有さないが、107カ国から主権実体(sovereign entity)として承認され、外交関係を認められている。
 
●イスラーム文明(p169)
〔 イスラーム文明とは、長い時間枠で見れば、7世紀から17世紀頃までの約1000年間にわたって展開した、世界で最も知的完成度が高く人間の社会生活の向上にも役立つ実利的な側面を持った文明であり、ムスリムだけでなく、キリスト教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒たちがともに協力して関わった真の意味でのグローバルな融合文明であった。この文明はイスラームの教えとアラビア語を基調とし、それにギリシア・エジプト・メソポタミア・インドなどの先進文明を取り入れ、それらの伝統の上に出来上がった文明である。この文明は、ヨーロッパでルネサンスの扉を開き、その成果によって近代科学をもたらすことになった。しかし21世紀の現在、その歴史的な存在も文明史上の意義も、忘れられ、無視され、誤解され、挙句の果てに故意に改竄までされた文明である。〕
 
●8%(p178)
 スペイン語の語彙の約8%がアラビア語起源だとされる。固有名詞に「アル」で始まる言葉が多いのも、アラビア語の影響。
 
【ツッコミ処】
・粗野な僻地(p55)
〔 後ウマイヤ朝時代のアブドゥッラフマーン1世は、故郷のシリアに倣って、イベリア半島全土の都市や農村、生活様式、学術、宮廷などを整備していった。それまで粗野な僻地に過ぎなかったイベリア半島に世界的な都市と文明を創造することになった。〕
  ↓
 「粗野な僻地」とはまたひどい言い様である。西欧に対する対抗意識が著者に感じられる一節。
 
・戦争の正当化(p145)
〔 キリスト教では時代が進むにつれて、徹底して非暴力を説き「あなたの敵を愛し、敵のために祈りなさい」とまで教えたイエス・キリストの説教は省みられなくなり、「神が望めば」神の意志に基づく戦争が正当化されるという「聖戦思想」が定着していった。キリスト教がローマ帝国の国教として採用(392年)されて以降、教皇も宣教の拡大のための有効な手段とみなして戦争を容認し、キリスト教世界には戦争が止むことはなかった。アウグスティヌスの正戦の思想は、その後、13世紀にトマス・アクィナスに受け継がれたが、トマスによって一定の倫理的規程を満たせば、戦争が正当化されるという基準さえも提示された。〕
  ↓
 これもキリスト教に対する悪しざまな表現である。ある程度は正しい認識であるとは思うが……。
 
(2021/6/24)NM
 
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古代メソポタミア全史 シュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで
 [歴史・地理・民俗]

古代メソポタミア全史 シュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで (中公新書)
 
小林登志子/著
出版社名:中央公論新社(中公新書 2613)
出版年月:2020年10月
ISBNコード:978-4-12-102613-2
税込価格:1,100円
頁数・縦:304p・18cm
 
 メソポタミア文明約3000年間の通史。BC3500の都市文明の始まりから、BC539年の新バビロニア王国の滅亡まで。
 なお、終章では新バビロニア王国滅亡からイスラームの支配までの1100年間をざっと概観する。
 
【目次】
序章 ユーフラテス河の畔、ティグリス河の畔―メソポタミアの風土
第1章 シュメル人とアッカド人の時代―前三五〇〇年‐前二〇〇四年
第2章 シャムシ・アダド一世とハンムラビ王の時代―前二〇〇〇年紀前半
第3章 バビロニア対アッシリアの覇権争い―前二〇〇〇年紀後半
第4章 世界帝国の興亡―前一〇〇〇年‐前五三九年
終章 メソポタミアからイラクへ―前五三九年‐後六五一年
 
【著者】
小林 登志子 (コバヤシ トシコ)
 1949年、千葉県生まれ。中央大学文学部史学科卒業、同大学大学院修士課程修了。古代オリエント博物館非常勤研究員、立正大学文学部講師、中近東文化センター評議員等を歴任。日本オリエント学会奨励賞受賞。専攻・シュメル学。
 
【抜書】
●ニップル(p8)
 メソポタミア南部のバビロニアは、ニップル市(現代名ヌファル)を境に、北部をアッカド、南部をシュメルと呼んだ。
 バグダードより北方は、アッシリア。「アッシュルの地」を意味するギリシャ語。
 アッシリアは、バビロニアと異なり、石灰岩、砂岩、雪花石膏(大理石の一種)のような石材を産出した。
 
●シュメル王朝表(p26)
 ウル第三王朝時代に編纂され、その後にイシン第一王朝(BC2017-1794)第14代シン・マギル王(BC1827-1817)までが追加された。
 古バビロニア時代(BC2004-1595)のいくつかの写本が出土している。
 
●楔形文字(p29)
 楔形文字は、ウルク古拙文字から発展し、シュメル語に始まり、アッカド語、ウガリト語、ウラルトゥ語、エブラ語、エラム語、古代ペルシャ語、ヒッタイト語、フリ語などの表記に使われた。
 BC2400年頃に、古拙文字が整理され、文字数が600に。また同時期に、1本で線、円形あるいは半円形、逆三角形を表記できる葦のペンが考案され、楔形文字が誕生した。
 ウルク古拙文字……絵文字。湿った粘土板にペンでひっかいて書かれた。ドイツ隊がウルクのエアンナ聖域を発掘し、BC3200年頃の世界最古の文書を発見した。約1000の古拙文字が使用されている。
 
●シュメル人(p38)
 1877年、ラガシュ市の発掘により、メソポタミア南部に非セム語を話すシュメル人が実在したことが証明された。楔形文字を考案したのはシュメル人。原郷はどこなのか不明。
 
●アッカド人(p51)
 アッカド王朝のサルゴンはアッカド人。東方セム語族に分類される、歴史に最初に登場したセム語族。
 アラブ人もイスラエル人も、ともにセム語族。
●捨て子伝説(p53)
 アッカドのサルゴン王(BC2334-2279)の伝説によると、サルゴンの母は子供を産んではいけない女神官だった。ひそかにサルゴンを産み、籠に入れてユーフラテスに流した。庭師に拾われ、その後キシュのウルザババ王の近侍の役職である酌人となり、やがて王となった。
 捨て子伝説の最古の例。その後、アケメネス朝ペルシャ初代キュロス2世(BC559-530)、モーセ、初代ローマ王ロムルス、など。
 
●エンヘドゥアンナ王女(p56)
 サルゴン王の娘。シュメル語の読み書きができ、『シュメル神殿讃歌集』を編纂し、『イナンナ女神讃歌』を作った、歴史上最古の才媛。
 
●アッカド語(p63)
 政治力や経済力によって、ギリシャ語、ラテン語、フランス語、英語が世界の共通語となった。
 アッカド語は、世界で最初に多民族間の共通語となった言語。シュメル人が発明した楔形文字を借用した。楔形文字をそのまま音節文字として使用した。
 
●四方世界の王(p74)
 アッカド王朝のナラム・シン王およびウル第三王朝のシュルギ王の称号。
 地上世界すなわち人間世界をあまねく支配する王の称号。理念上では神々の世界の末端に位置付けられ、現実には軍事的拡大に打って出た証。
 
●アムル人(p86)
 ユーフラテス川上流のビシュリ山(バシャル山)周辺の遊牧民。シュルギ王は、アムル人の侵攻を阻止するために、バクダードの北方80kmの地に、チグリス川からユーフラテス川にいたる城壁を作っていた。
 アムル人はバビロニアに定住すると、アッカド語の名前を名乗る例が多かった。アムル語の記録は残さず、アッカド語を使用。両者の違いは方言程度。
 「ハンムラビ」は、「ハンム神は偉大である」を意味するアムル語の名前。
 
●アッシリア王名表(p100)
 シャムシ・アダド1世(BC1813-1776)は、『シュメル王朝表』を手本に、『アッシリア王名表』を編纂した。初代シャムシ・アダドから109代シャルマネセル5世(BC726-722)まで、1000年にわたって書き継がれていった。
 
●ミタンニ王国(p142)
 ミタンニ王国がBC16-14世紀のメソポタミア北部を支配した。
 フリ人の国。フリ語は膠着語で、BC9世紀中期〜BC6世紀前期、アナトリア東部及びアルメニアを支配したウラルトゥ王国の言語、ウラルトゥ語と類縁関係にある。
 ミタンニは、新しい軍事技術を導入して優位にたった。木、動物の骨あるいは金属を張り合わせた強い弓(複合弓)、馬に引かせた戦車(車輪にスポークを採用)をもっていた。さらに、馬の調教に長けていた。
 ヒッタイトに滅ぼされた。
 
●アマルナ文書(p153)
 アマルナ文書……エジプトのアマルナで、アッカド語で書かれた手紙が多数発見された。多くは「文書庫」と見られるアマルナ中心部の建物から出土した。350点が手紙、32点は学校で使用された文学文書や語彙集など。エジプト王にあてられた手紙がほとんど。
 アマルナ……古代エジプトの都アケト・アテン。アケト・アテンは、「アテン神の地平線」を意味する。カイロ市からナイル河を280kmさかのぼった位置にある。第18王朝のアメンヘテプ4世(アクエンアテン、BC1351-1334)が、治世6年に国家神アメンを厚く祀っているテーベから遷都して造営した。アケト・アテンに都があった約20年間を「アマルナ時代」という。
 
●前12世紀の危機(p189)
 BC12世紀頃、西アジア及び東地中海世界は大きな民族移動の波に襲われた。原因は気候変動であった可能性が高い。
 ギリシア共和国のペロポネソス半島にはドーリア人(ギリシア人の一派)が侵入し、東地中海を海の民が荒らし回り、アラム人がシリア砂漠からメソポタミア方面に移動した。
 エジプトの記録によれば、BC1200年頃に、約500年続いたヒッタイトが海の民の襲撃によって滅ぼされた。これを機に、ヒッタイトが国家機密にしていた鋼(はがね)の製法が近隣に伝播していく。鉄器時代の始まり。
 
●騎兵(p196)
 新アッシリア帝国では、ラクダを荷役獣として使用するようになった。BC1100年頃にフタコブラクダをメディアからの山岳交通用に、BC700 年頃にヒトコブラクダを砂漠での輸送用に導入した。
 さらに騎兵を本格的に導入した。アッシリアは、「馬の背で帝国を作った」と言われている。
 
●アラブ人(p204)
 BC853年、カルカル市(シリアのオロンテス河畔の都市。現代名テル・カルクル)にて、シャルマネセル率いるアッシリア軍を、反アッシリア同盟軍が迎え撃った。アラブ人ギンディブが1000頭のラクダを連れて同盟軍に加わった。
 アッシリアの資料における「アラブ」の初出。
 
●新アッシリア帝国(p193)
 新アッシリア帝国、BC1000-609。
 サルゴン2世(BC721-705、第110代)ーセンナケリブ(BC704-681、第111代)ーエサルハドン(BC680-669、第112代)ーアッシュル・バニパル(BC668-627、第113代)。父子相続。
 センナケリブ……BC689年にバビロン制服、徹底的に破壊した。バビロニアの最高神マルドゥク神像がアッシリアへ捕囚された。
 
●文字の神聖化(p234)
 楔形文字を考案したシュメル人は、文字を実用的なものと考えていた。
 時代が下るにつれて、文字は神聖化されていった。BC2000年紀後半以降のメソポタミアでは、「文字には過去の英知が宿っている」といった神秘的な考え方が生まれた。武力で切り取った帝国を守るためにも、王たちはいわば護符のような役割を期待して粘土板文書を集めることに執着した。
 
●カルデア人(p244)
 アラム人と同じ西方セム語族といわれるが、特定できない。原郷不明。アラム人と並んで、BC1000~900年ごろに、バビロニアに侵入。
 しだいにバビロニア化、バビロニアの独立を主導していく。新バビロニア王国は、カルデア王朝とも言われている。初代ナボポラッサル王(BC625-605)は、カルデア人と言われるが、実際の出自は不明。
 
●騎馬民族(p257)
 アケメネス朝ペルシア帝国(BC550-330)は、ナイル河からインダス河までの広大なオリエント世界のほぼ全域を支配。
 イラン系のペルシア人は、BC1000年頃にイラン高原に入り、BC7世紀にはイラン高原南西部パールサ地方(現代ペルシア語ファールスの語源)に定着した。出自は騎馬民族。騎馬弓兵の突撃隊の組織化に成功し、BC559年にキュロス2世(BC559-530、初代)が「アンシャンとパールサの王」と称し、パールサ地方を中心にペルシア人勢力を結集した。
 BC539年、キュロス2世がバビロン市に侵攻、新バビロニア王国は滅びた。
 
●アルサケス朝パルティア(p268)
 アルサケス朝パルティア(BC247-AD224)が、イラン北西部からトルクメニスタンにかけて建国された。中国の史書に安息(あんそく)として登場。
 BC141年に、バビロニアを支配。
 アルサケス朝の支配以降、バビロニアでは楔形文字が使われなくなった。
 
(2021/6/24)NM
 
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怖くて眠れなくなる化学
 [自然科学]

怖くて眠れなくなる化学
 
左巻健男/著
出版社名:PHPエディターズ・グループ
出版年月:2020年10月
ISBNコード:978-4-569-84750-4
税込価格:1,430円
頁数・縦:201p・19cm
 
 好評だった『面白くて眠れなくなる化学』の第二弾。使い方を誤るととんでもないことになる人工化学物質の脅威を語る。
 
【目次】
1 身近な化学変化の恐ろしさ
 危険すぎる塩づくり
 「まぜるな危険」をやってみた
 天かす火災はなぜ起こる?
 石灰乾燥剤は危ない!
 洗剤とアルミ缶が化学反応し破裂
 廃油を使った手作り石鹸の怖さ
2 化学が巻き起こした事故の恐怖
 リチウムイオン電池の発火で飛行機が落ちた!
 二又トンネル爆発事故
 史上最悪の化学工場事故
 イタリア・セベソの化学工場での爆発事故
 ナトリウムを制御できなかった高速増殖炉
 地図からも消されていた毒ガス製造工場の島
 学校で扱う化学熱傷(化学やけど)を起こす薬
3 化学物質は人類の敵か味方か
 空間噴霧で、安全で効果がある消毒剤はあるか?
 DDTと人類の死因第一位のマラリアとの闘い
 笑気ガス(一酸化二窒素)の笑えない事態
 『サイレント・スプリング』の衝撃
 
【著者】
左巻 健男 (サマキ タケオ)
 東京大学講師(理科教育法)。「理科の探検(RikaTan)」誌編集長。1949年生まれ。埼玉県公立中学校教諭、東京大学教育学部附属中・高等学校教諭、京都工芸繊維大学教授、同志社女子大学教授、法政大学生命科学部環境応用化学科教授・法政大学教職課程センター教授を経て現職。理科教育(科学教育)、科学リテラシーの育成を専門とする。
 
【抜書】
●漂白剤(p21)
 漂白剤は、化学反応によって酸化型、還元型に分けることができる。酸化型は、さらに塩素系、酸素系に分けられる。
 酸化型(塩素系)……最も一般的な漂白剤。殺菌力が強いが、色物、柄物や毛・絹に使うことができない。次亜塩素酸ナトリウム、など。
 酸化型(酸素系)……色物、柄物に使うことができるが、毛・絹には使うことができない。過炭酸ナトリウム、過酸化水素水、など。
 還元型……色物、柄物に使うことができないが、鉄分による黄ばみやサビが付いたときに有効。亜硫酸塩、ハイドロサルファイト、二酸化チオ尿素、など。
 
●不飽和脂肪酸(p26)
 オレイン酸(オリーブオイルに含まれる)、リノール酸(大豆やコーンに多い)、α-リノレン酸(菜種油に多い)、など。
 分子内の炭素の鎖の中に二重結合を持つ脂肪酸。
 炭素の鎖の中の二重結合に空気中の酸素が結びつく反応が起きやすい。その反応の際に発熱する。
 不飽和酸脂肪酸が天かすや紙に染み込んだ状態では、空気と接する面積が大きくなり、酸化が進む。熱が逃げにくい状態だと、内部の温度が発火点を超え、紙や油に火がついて燃え上がる。発火点は、新聞紙で290℃前後、油脂で300〜400℃程度。
 大量に天かすが出る飲食店などでは、十分に冷まして処理したつもりでも、数時間たって発火することがある。
 
●生石灰(p32)
 酸化カルシウム。水を加えると消石灰になる。
  酸化カルシウム(生石灰) + 水 → 水酸化カルシウム(消石灰) + 熱
 石灰乾燥剤の中身は、白い小石のような粒の生石灰。
 大量の水と出会うと沸騰して危険なので、水気のある生ゴミと一緒に捨ててはいけない。
 
●アルマイト加工(p41)
 アルミニウムの表面に付いている酸化皮膜を人工的に厚くすること。耐食性が高まる。
 鍋などの容器材料や、アルミサッシなどの建築材料に利用される。
 アルミニウムは、鉄についで日常生活でたくさん使われている金属。鉄が全金属の90%以上。
 両性元素で、酸にもアルカリにも反応して水素を発生する。亜鉛、錫、鉛なども両性元素。
 
●脂肪酸ナトリウム(p52)
 石鹸のこと。
 〈鹸化法での合成〉
  油脂 + 水酸化ナトリウム → 脂肪酸ナトリウム + グリセリン
 〈中和法での合成〉
  (油脂から取り出した)脂肪酸 + 水酸化ナトリウム → 脂肪酸ナトリウム + 水
 油脂……高級脂肪酸(炭素数が多い脂肪酸)のエステルのこと。石鹸の製造では、牛脂、ヤシ油、パーム油、などを使う。
 
●二又トンネル爆発事故(p78)
 日田彦山(ひたひこさん)線の彦山駅と筑前岩屋駅の間に、「爆発踏切」という名の第四種踏切がある。近くに、二又トンネル跡の切通がある。
 彦山駅から約500m南にあった二又トンネル(約100m)と吉木トンネルを、陸軍が火薬の保管場所として使用していた。1944年6月の空襲で、沿線の小倉兵器補給廠山田填薬所が空襲で焼失したため、新たな保管場所を探していた。二つのトンネルは、開通していたがまだ鉄道に使用されていなかった。
 1945年11月12日、占領軍は火薬約530トンと信管約180kgの焼却処分を開始した。点火してから1時間半後の16時半ごろ、火薬を燃やす炎がトンネルからまるで火炎放射器のように噴出し始め、17時15分頃、大爆発を起こして山全体が吹き飛んだ。
 消火活動をしていた近隣住民や吹き飛ばされた民家など、甚大な被害を受け、死者147名、負傷者149名に上った。山の麓でドングリ採集をしていた小学生29名も犠牲となった。
 占領軍が絡む事件事故は、判明しているだけでも全国で2,000件以上あるが、二又トンネル爆発事故の被害規模は全国一。
 
●ボーパール化学工場 MIC漏洩事故(p84)
 インドのマディヤ・プラデシュ州の州都ボーパールに、米国ユニオン・カーバイドの子会社の殺虫剤工場があった。
 1984年12月3日、この工場からイソシアン酸メチル(MIC)の混合物をはじめとする致死性ガスが漏れ出し、50万人を超える人々が健康被害を受けた。近隣に人口が密集したスラム街があり、事故発生が深夜だったため、夜明けまでに2,000人以上が即死した。最終的には死者14,410名。
 
●大久野島(p129)
 大久野島(おおくのしま、広島県竹原市)には、1929年、陸軍によって毒ガス製造工場が設置され、1945年の終戦まで、秘密の島として地図から抹消されていた。
 マスタードガス(イペリットガス)、ルイサイト、数種の催涙ガス、シアン化水素(青酸ガス)など、国際法上禁じられている毒ガスを極秘で生産していた。
 秘密を守るため、工員はほとんどが軍属。
 1943年頃から、発煙筒や普通爆弾の製造が主体になり、毒ガスの製造は行われなくなっていった。
 (1)米国ルーズベルト大統領が、1942年6月に、日本軍による中国での毒ガス使用を非難、同様の方法による報復を示唆。
 (2)資材不足。鉄は普通爆弾に。不足していた塩は食用に。
 
【ツッコミ処】
・失敗原因(p29)
 「自然発火による火災の失敗原因を特定するのは難しい。酸化による火災は、片付けが終わった後、数時間、あるいば数日間という長い時間がたってから発生する。そのため、油をぬぐった紙や布を移動させた後に火がでることがある。それなのに多くの事例で、火災原因は消費者側の不注意によるものだと結論付けている」。
 池田圭一『失敗の科学ーー世間を騒がせたあの事故の“失敗”に学ぶ』(技術評論社、2009年)からの引用。
 最初の文に「失敗原因」とあるが、「失火原因」の誤り? それとも、『失敗の科学』という本だから、あえて「失敗原因」という言い方をしているのか??
 
(2021/6/21)KG
 
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完落ち 警視庁捜査一課「取調室」秘録
 [社会・政治・時事]

完落ち 警視庁捜査一課「取調室」秘録 (文春e-book)
 
赤石晋一郎/著
出版社名:文藝春秋
出版年月:2021年4月
ISBNコード:978-4-16-391358-2
税込価格:1,760円
頁数・縦:235p・20cm
 
 「伝説の刑事」と言われ、数々の注目事件を解決した大峯泰廣の事件簿。筋読みの鋭さ、取り調べの手練とともに、大峯のヒューマニズムが伝わってくる。刑事ドラマ以上の面白さである。著者は、「まさに刑事の体験談なのだから、刑事ドラマよりも面白いのは当然といえば当然である」(p.230)というが、いやぁ、事実をネタに、見る人に感動を与えるように脚色されたドラマのほうが面白くなきゃダメでしょう。でも、本書はホントに面白いのである。
 んで、一番心打たれたのは、地元の不良中学生6人を更生させた終章のお話。非番の日に息子の学校にまで出向いて行って、先生に話をつけて各生徒と面談したり、授業中に空き教室を解放してもらって将棋を指したり。これ、本職の事件解決とは関係ないんだけどね。大峯さんの人柄が表れていて、ほっこりした。
 大峯泰廣、1948年(昭和23年)生まれ。『7人の刑事』(TBSテレビ)にあこがれて刑事を目指した。父親も交番勤務を主とする警察官だった。
 なお、本書は、月刊「文藝春秋」2019年4~6月号と、文藝春秋デジタル2020年2~8月に連載された記事を大幅に加筆したものに書下ろしを加えて単行本化された。
 
【目次】
序章 「疑惑」―ロスアンゼルス市ホテル内女性殺人未遂事件 1985
第1章 「KO」―首都圏連続ノックアウト強盗致死事件 1981
第2章 「警官」―宝石商強盗殺人事件 1984
第3章 「猥褻」―宮﨑勤首都圏連続幼女誘拐殺人事件 1989
第4章 「強奪」―練馬社長宅三億円現金強奪事件 1990
第5章 「信仰」―オウム真理教地下鉄サリン事件 1995
第6章 「自演」―証券マン殺人・死体遺棄事件 1996
第7章 「遺体」―阿佐ヶ谷女性殺人死体遺棄事件・桧原村老女殺人事件 1997&1998
第8章 「迷宮」―世田谷一家四人殺人事件 2005
終章 「動機」―人はなぜ罪を犯すのか
 
【著者】
赤石 晋一郎 (アカイシ シンイチロウ)
 1970年生まれ。南アフリカ・ヨハネスブルグで育つ。「FRIDAY」、「週刊文春」記者を経て、2019年にジャーナリストとして独立。日韓関係、人物ルポ、政治・事件、スポーツなど幅広い分野で執筆を行う。
 
【抜書】
●残るは犯罪の話だけ(p47)
〔 谷本の身の上話を全て聞いていたことも功を奏したのだろう。刑事に親近感を持たせるというのもその効果の一つだが、それだけではない。相手の話をじっくり聞いていくことで、犯人は逆に追い詰められたような心理状態になるのだ。なぜかといえば、全てを話し終えると、後に残されたのは「犯罪」の話だけだと犯人は自覚し始める。その心理的プレッシャーを利用して諭しにかかるわけだ。〕
 
●トイレ(p85)
〔 調べの極意は、魚釣りと似ている。「間合い」、「タイミング」、「言葉の使い方」の三つが重要だ。相手との間合いを詰めながら、タイミングを見て、「お前は犯罪を犯した」等と核心を突く。口で言うのは簡単だが、繊細なバランス感覚を必要とし、長年の経験がものを言う。
 もう一つ、調べの鉄則がある。「水をください」、「一服させてください」、「便所に行かせてください」という要求は一切拒否することだ。ホシは調べの緊張感からなんとか逃げ出そうとする。宮﨑もそうだった。調べの途中でトイレに行かせたりすれば、気持ちが落ちつき、全てを飲み込んでしまう。〕
 
●未解決担当理事官(p202)
 大峯は、2005年2月、警視庁捜査一課の、初代未解決担当理事官に就任した。
 当時の奥村万寿雄警視総監によって新設された新しいポジション。
 理事官とは、本来は捜査一課長に次ぐナンバー2のポジションで、発生事件の捜査を指揮する立場にある。未解決担当理事官は、発生事件を担当せず、未解決事件だけを専門に指揮する「専門職」として設置された。
 当時、警視庁が重要視していた「スーパーナンペイ事件」「世田谷一家四人殺人事件」「東村山警察官殺害事件」「柴又女子大生放火殺人事件」などを担当した。
 しかし、「世田谷一家四人殺人事件」で納得のいく捜査をさせてもらえず、発生当時の杜撰で虚偽に満ちた捜査方法に嫌気がさし、2006年9月、警察を退職した。階級は警視だった。
 
(2021/6/14)KG
 
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学校の大問題 これからの「教育リスク」を考える
 [教育・学参]

学校の大問題 これからの「教育リスク」を考える (SB新書)
 
石川一郎/著
出版社名:SBクリエイティブ(SB新書 524)
出版年月:2020年11月
ISBNコード:978-4-8156-0801-9
税込価格:990円
頁数・縦:271p・18cm
 
 探究的な学習や、ICTを活用した学習など、これからの教育に必要なことについて論じる。
 肝はブルーム・タキソノミーに乗っ取った教育法の確立ということか。ただ、肝心のブルーム・タキソノミーについての解説が不十分なので、今ひとつピンとこない。カッコ付きで「教育目標の分類学」と表現されているのだが(p.85)……。また、『認知領域』『情意領域』『精神運動領域』の3領域が「設定された」らしいのだが、『認知領域』に絞って解説していて、他の2領域の解説や相互の関係の説明がなく、全体的な構造が分からない。
 ブルーム・タキソノミーについては、専門の解説書を読んでください、ということか。
 
【目次】
第1章 コロナ禍で露呈した自律できない学校の問題
第2章 未来の教育を予感させる学校―休校対応の差から考える
第3章 入試問題の変化と学習評価の構造―ブルーム・タキソノミーと評価
第4章 探究と評価の折り合いをつけるマインドとは―対談 矢萩邦彦
第5章 学校における探究型の学びとPBL―ブルーム・タキソノミーの活用
第6章 ICTと学校をつなぐためには―対談 田中康平
第7章 いかにICTリテラシーを身につけるか―ブルーム・タキソノミーの新解釈
終章 これからの教育でおさえておくべきこと
 
【著者】
石川 一郎 (イシカワ イチロウ)
 「聖ドミニコ学園」カリキュラムマネージャー。「21世紀型教育機構」理事。経済産業省「未来の教室」教育コーチ(2019年度)。知窓学舎カリキュラムマネージャー。1962年東京都出身、暁星学園に小学校4年生から9年間学び、85年早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。暁星国際学園、ロサンゼルスインターナショナルスクールなどで教鞭を執る。前かえつ有明中・高等学校校長。前香里ヌヴェール学院学院長。「21世紀型教育」を研究、教師の研究組織「21世紀型教育を創る会」を立ち上げ幹事を務めた。
 
矢萩 邦彦 (ヤハギ クニヒコ)
 実践教育ジャーナリスト。リベラルアーツ・アーキテクト。株式会社スタディオアフタモード代表取締役CEO。知窓学舎塾長。教養の未来研究所所長。一般社団法人リベラルコンサルティング協議会理事。聖学院中学校・高等学校学習プログラムデザイナー。ラーンネット・エッジ カリキュラムマネージャー。探究型学習・想像力教育、パラレルキャリアの第一人者。
 
田中 康平 (タナカ コウヘイ)
 株式会社NEL&M代表取締役。幼児〜小中高生のICT活用や学習環境デザインの専門家。教育情報化コーディネータ1級。佐賀県を中心に、教育ICT環境整備やICT支援員事業等に従事する。2014年4月、ICTスクールNELを開校し、幼稚園・保育園での「ICTたいむ」を開始。
 
【抜書】
●サイエンス科(p174)
 かえつ有明中・高等学校では、「自分軸の確立」「共に生きる」「学び方を学ぶ」がカリキュラム・ポリシーの三本柱。
 「学び方」を学ぶための科目が、中学校で学ぶ「サイエンス科」。カリキュラム上は「総合的な学習の時間」に該当。すべての教科の基礎・中心(ハブ)として位置づけている。
 〔生徒たちの学力を向上させるには、思考力の育成が必要不可欠です。以前から思考力の育成の重要性は語られてきましたが、具体的に何をしたらいいのかは明確にされてきませんでした。かえつ有明は、「考える」ための「方法(プロセス〕」・「スキル」を学ぶ授業を全教科の教員で開発してきたのです。「考える道筋」の方法論は、「情報収集」から「整理・分析」そして「統合」とブルーム・タキソノミーをベースに考えられており、それぞれの過程でのスキルも明示されていて、授業で生徒たちはワークシートなどを使ってトレーニングします。〕
 
●パソコン(p208、田中)
〔あとホントに気をつけてほしいのは、情報デバイスとの出会い方です。これ、手遅れの方もたくさんいると思うんですけど。いちばん最初に、安易にゲーム機から入らないことが重要です。情報機器が子どもにとって、報酬をもらえる消費的な余暇の道具になりさがるような出会い方、与え方にならないように気をつけてほしいんです。理想は、最初の情報デバイスがパソコンだったら良いな、と思います。自分から働きかけないと動いてくれない、けれど動かせるようになるとすごく楽しい道具。これは、積み木や粘土なんかと同じなんですが、何かを表現したり、何かを提供したり、発信するために楽しく使える道具という出会い方です。すでにゲームどっぷりになってしまった子でも、例えばタイピングのゲームにはまってくれたりすると、コンピューターとの付き合い方が、ちょっと変わったりもします。〕
 
●掛け算(p215、田中)
 紙と鉛筆ではできなかったことが、コンピュータを使うことでできるようになる。できることが加速度的に増えてくる。
〔 イメージ的には、足し算と掛け算。たとえば1+2+3+4って、足し算だと10にしかならないですけど。1×2×3×4になると24になりますよね。1×2×3までは、同じく6なんですけど。4まで掛けていくことができれば、そこからは、もう、どんどん増えるだけ。だから、6になるまでは待ったり、あるいは6までは基本として身につけておかないといけない。それがないままに、ポンと渡したって、掛け算にはならないんですね。〕
 
(2021/6/13)NM
 
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都市で進化する生物たち “ダーウィン”が街にやってくる
 [自然科学]

都市で進化する生物たち: ❝ダーウィン❞が街にやってくる
 
メノ・スヒルトハウゼン/著 岸由二/訳 小宮繁/訳
出版社名:草思社
出版年月:2020年8月
ISBNコード:978-4-7942-2459-0
税込価格:2,200円
頁数・縦:335, 14p・19cm
 
 地球を改変し続ける人類。そんな人間たちの多くが暮らす都市は、今後、全陸地の10%を占めるまでになるという。都市という環境は、人間以外の生物にとっても「自然」でありふれた環境となっていくのだ。しかも、うまく適応できれば、森や荒れ地よりも棲みやすいかもしれない。
 そんな視点から、都市で暮らす生物たちの進化の実態を論じる。人新生は、生物たちにも大いなる進化を促しているようだ。 
 
【目次】
はじめに 都市生物学への招待
1 都市の暮らし
2 都市という景域
3 都市は出会いだ
4 ダーウィン的都市
おわりに 都市で生物を進化させるために
 
【著者】
スヒルトハウゼン,メノ (Schilthuizen, Minno)
 1965年生まれ。オランダの進化生物学者、生態学者。ナチュラリス生物多様性センター(旧オランダ国立自然史博物館)のリサーチ・サイエンティスト、ライデン大学教授。
 
岸 由二 (キシ ユウジ)
 慶應義塾大学名誉教授。生態学専攻。NPO法人代表として、鶴見川流域や神奈川県三浦市小網代の谷で“流域思考”の都市再生・環境保全を推進。鶴見川流域水委員会委員。
 
小宮 繁 (コミヤ シゲル)
 翻訳家。慶應義塾大学文学研究科博士課程単位取得退学(英米文学専攻)。専門は20世紀イギリス文学。2012年3月より、慶應義塾大学日吉キャンパスにおいて、雑木林再生・水循環回復に取り組む非営利団体、日吉丸の会の代表をつとめている。
 
【抜書】
●都市化する生物(p15)
 地球上の生態系に対する人間の支配力が非常にゆるぎないものとなった結果、地球上の生命が、全面的に都市化していくこの惑星への適応手段を進化させる過程にある。
 2007年、都市に居住する人間の数が農村地帯の人口を上回った。21世紀の半ばまでに、推定93億の世界人口のおよそ三分の二が都市に暮らすことになる。
 2030年までに、地球の陸塊の10%近くが都市化され、残りの大部分も人間によって改変された農場、放牧地、プランテーションで覆われることになるだろう。
 
●生態系工学技術生物(p32)
 クライブ・ジョーンズ、ジョン・ロートン、モシェ・シャカクらによる造語。1994年『オイコス』誌に載った論文で使われた。
 「生態系工学技術生物とは、生物的あるいは非生物的素材の物理的状態に変化話生じさせることによって、他の生物にとっての資源の有用性を調整する……(中略)……生物のことをいう。こうした働きによって、生態系工学技術生物は生息地を改変し、維持し、また創造するのである」。
 アリ、シロアリ、ビーバー、サンゴ、など。そして人間。
 
●島嶼生物地理(p54)
 1960年代に、昆虫学者のエドワード・O・ウィルソンと理論生態学者のロバート・マッカーサーが作り上げた生態学理論。
 一群の島(断片化し孤立した生息地)を想定した場合、それぞれの島に棲息する種(例えばチョウ)の数を決める条件は二つ。島に到達できるチョウの種数、その島においてチョウの種が絶滅する速さ。
 島が小さければ小さいほど、そして本土から遠く離れていればいるほど、チョウは到達できず、したがって定着しない確率はそれだけ高くなる。
 一種類のチョウがそこに定着した場合、そのチョウの生存はやはり島の大きさにかかっている。
 およそ、島の規模が10倍になるごとに、見出される種の数は2倍になる。
 
●都市の多様性(p72)
 田園―都市縦断トランセクトを実行すると、都市部における生物多様性の下落幅は予想ほど大きくない。
 植物と、場合によっては昆虫についても、ときに都市部が多様性の頂点となることさえある。
 田園―都市縦断トランセクト……田園から都心への環境傾度に沿って方形の調査区を無作為に抽出して生物の多様性を調査する。
 
●外来種(p75)
 ヨーロッパおよび北アメリカの都市では、野生植物の35~40%が外来種。
 北京の都心部においては、外来種が53%。
 ある区画において植物の種類の多様性を決定するのは、その近所の住人たちの富裕度だという調査結果もある。「贅沢効果」。旅行と交易、手入れの行き届いた庭からの外来植物の絶え間ない逃避が要因。
 
●非合法(p78)
 都市周辺の田園においては植物の種数が減っているが、都市の内部においては増えている。
 〔田園では罪を問われ非合法とされる雑草が、都市の城壁の内側に避難場所を見出したといってよいのではないか。〕
 
●コヨーテ(p79)
 シカゴ市内には、現在、推定2,000匹を超えるコヨーテがいる。鉄路に沿ってうろつき回り、信号待ちをし、車庫の屋根の上で子育てをする。
 田園のコヨーテに比べ、都市では迫害されることがない。都会のコヨーテが暴力的な死に遭遇する可能性は田園の四分の一。
 
●シモフリガ(p124)
 1819年頃のイングランド北部(マンチェスター)で、DNAの跳躍により、シモフリガに「工業暗化」が起こり、翅が黒っぽくなった。大気の汚染によって黒いガが優勢となった。
 その後、大気の清浄化により、ふたたび白いガが増えていった。
 
●局所適応(p157)
 個体群の規模が小さいと、遺伝的浮動と近親交配によって好ましい遺伝子が急速に増える可能性がある。
 個体群が大きいと、非適応遺伝子が流れ込み、なかなか定着しない。
 サウザンドオークスの101号線以北に暮らすボブキャットは、殺鼠剤で死んだネズミを食べたせいで疥癬が一時的に広がったが、その後、免疫系が進化して死亡率が減った。
 セントラルパークのシロアシネズミが、他の公園と異なる進化を遂げた。
 
●マミチョグ(p161)
 マミチョグとは、汽水域に棲息する人差し指ほどの大きさの丈夫な魚。
 マサチューセッツ州のニューベッドフォードやコネチカット州のブリッジポートでは、海底に蓄積するPCBへの耐性を進化させた。
 
●黒い羽毛(p170)
 都会で暮らすハトは、体色が濃くなる。
 身体から亜鉛のような重金属汚染物質を除去し、羽毛に移転させる能力を身につけているため。
 メラニン色素が金属原子に結びつく。
 
●赤の女王(p205)
 第二種接近遭遇とは、二種の生物が出会い、進化の相互作用を引き起こすことをいう。このタイプの敵対的適応を、進化生物学者は「赤の女王」と呼ぶ。
 赤の女王……『鏡の国のアリス』の登場人物。女王はアリスに言う。「ここでは、同じところに留まりたいなら、全速力で走らなくてはなりません。」
 
●たばこの吸い殻(p212)
 メキシコ国立大学メキシコシティ―・キャンパスのイエスズメとメキシコマシコの巣には、タバコの吸い殻が散らばっている。巣の材料として鳥たちが選んだもの。
 タバコの葉に含まれるニコチンには、ダニなどを寄せ付けない効果がある。吸い殻の数と巣にいるダニの数は、負の相関関係にあった。
 
●隣人を利用(p227)
 〔都市の動物たちは人間という隣人をより上手に利用できるように進化する、とわたしたちは考えてよいのかもしれない。瓶の蓋を開けることを目的として作用する何らかの遺伝子が動物の個体群に広がるからではなく(明らかにそんな遺伝子は存在しない)、寛容的で、より好奇心旺盛な遺伝的傾向性(この種の遺伝子は実際に存在する)に助けられて、動物は人間を、そして人間の絶え間なく変化する慣習を、うまく利用する方法を瞬く間に学ぶ。より速やかな学習を可能にすることで、そうした遺伝子が広がるのだ――都市で進化すると、かつての田舎育ちの古臭い動物は、より都会通の動物へと変わっていく。〕
 
●強いオス(p258)
 シジュウカラとユキヒメドリの研究から、田舎に棲むオスの優劣とは異なる条件が都市には存在するらしい。森では高く評価される頑強で争いに強いオスが、都市ではあまり好まれない。
 
●ステファノ・ボエリ(p303)
 ミラノで、ボスコ・ヴェルティカーレ(垂直の森)という2棟の住居用高層タワーを建てた。
 730本の樹木と5,000本の灌木、11,000株の草本が植え付けられた建物。
 
●好人性生物(p321)
〔 本書の初めに登場したアリと好蟻性生物の記述から思い出してもらえるかもしれないが、強力な生態系エンジニアは他の生物種を引き付ける磁石のようなものである。かれらの元には食料と資源が集中しているから、他の種はかれらと共生するために進化を遂げるのだ――避難所と保護を求め、宿主から盗み、ちょろまかし、あるいはうまく騙して、残り物を恵んでもらうためだ。多くはその存在を気づかれることなく、あるものは黙認され、あるいは評価さえ受け、さらには訴追されるものもいるが、全ての好蟻性生物は進化する。自発的にであれ、不本意にであれ、自分たちを後援してくれるアリたちとの共同生活に適応するのだ。人間がこのアリと同様の地位についてからの期間はずっと短く、好人性生物(anthropophiles)たちはまだ進化を開始したばかりである。しかし確実にかれらは進化しているのであり、今後も適応し続けていくことだろう。〕
 
(2021/6/7)KG
 
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日本語を、取り戻す。
 [社会・政治・時事]

日本語を、取り戻す。
 
小田嶋隆/著
出版社名:亜紀書房
出版年月:2020年9月
ISBNコード:978-4-7505-1660-8
税込価格:1,760円
頁数・縦:311p・19cm
 
 オダジマさんのコラム集。この10年くらいの記事をまとめた。
 タイトルの意味は、空疎な言葉を並べ立てる元首相のおかげで日本語が劣化してしまった、この10年間を振り返って、まともな日本語、まともな議論を取り戻そう、といったところか。
 
【目次】
1 あの人にさよならを。
 言葉を扱うはずの「政治家」というお仕事
 この奇妙な政治家への感情
  ほか
2 言葉と空気。
 データは人生であり、墓碑銘である
 「共謀罪」がこともなげに成立してしまう背景
  ほか
3 ワンフレーズの罠。
 経済政策を隠蔽する用語としてアベノミクスは役割を果たしている
 「安保はまだ難しかったかい?」
  ほか
4 がんばれ、記者諸君。
 無視できない一部国民のメディア観
 忖度と揚げ足取りで日本は回る
  ほか
 
【著者】
小田嶋 隆 (オダジマ タカシ)
 コラムニスト。1956年、東京生まれ。早稲田大学卒業。食品メーカー勤務などを経て文筆業を開始。
 
(2021/6/4)NM
 
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ダチョウはアホだが役に立つ
 [医学]

ダチョウはアホだが役に立つ (幻冬舎単行本)
 
塚本康浩/著
出版社名:幻冬舎
出版年月:2021年3月
ISBNコード:978-4-344-03766-3
税込価格:1,540円
頁数・縦:191p・19cm
 
 ダチョウはアホだけど、病気や怪我に強く、とても丈夫で長生き。それは、免疫系の働きが優れているから。
 その特性を生かし、ダチョウの卵から取り出した抗体を、人間さまの医療と美容に役立てていこうという研究を紹介する。研究成果だけでなく、著者本人の人生の軌跡を京都弁交じりの軽妙な筆致で描いており、楽しく読ませる。
 ちなみにダチョウ抗体の製品開発の成果は、抗体マスク、アトピー性皮膚炎の治療、ニキビの治療、薄毛の解消、花粉症の緩和、歯周病の予防、などなど。癌の治療薬としても研究を進めている。
 ダチョウ抗体は熱に強く、酸にも強いとのこと。抗生物質として腸まで届き、腸内細菌を殺さずに狙った細菌やウイルスだけをやっつけることもできる。
 
【目次】
第1章 ダチョウってどんな鳥?そのすごさとアホさ
 ダチョウはアホだ
 常に行き当たりばったり、よく遭難する
  ほか
第2章 ダチョウ研究23年、その悲喜こもごも
 泡と消えたダチョウブーム
 世界一でかい鳥を飼ってみたい
  ほか
第3章 ダチョウ抗体が秘める無限の可能性
 普通のマスクではできない「予防」ができるわけ
 「免疫力を高める」とは「抗体を作る能力を高める」こと
  ほか
第4章 鳥少年がダチョウ博士になるまで
 鳥のウ○コは平気でも、人間のことは苦手
 小4になってもひらがなが怪しかった
  ほか
第5章 新型コロナウイルスに立ち向かうダチョウパワー
 発生後すぐに中国から問い合わせが相次ぐ
 ダチョウより先に自分の体で人体実験
  ほか
 
【著者】
塚本 康浩 (ツカモト ヤスヒロ)
 1968年京都府生まれ。京都府立大学学長。獣医師、博士(獣医学)、ダチョウ愛好家。大阪府立大学農学部獣医学科卒業後、博士課程を修了し、同大学の助手に就任。家禽のウイルス感染症の研究に着手する。同大学の講師、准教授を経て、2008年4月に京都府立大学大学院生命環境科学研究科の教授となり、2020年、同大学学長に就任。1998年からプライベートでダチョウ牧場「オーストリッチ神戸」でダチョウの主治医となる。2008年6月にダチョウの卵から抽出した抗体から新型インフルエンザ予防に役立つ“ダチョウマスク”を開発した。マスク以外にもダチョウ抗体をもとにがん予防から美容までさまざまな研究に取り組んでいる。
 
【抜書】
●ダチョウの脳(p35)
 ダチョウの眼球は、直径5cm、重さ60g。
 脳は40g程度しかない。
 
●ダチョウの涙(p39)
 ダチョウの涙はムコ多糖を多く含み、甘い。
 ムコの語源はラテン語のMucusで、粘液を意味する。魚の煮凝りやツバメの巣などにも含まれており、コンドロイチンもムコ多糖の一種。
 
●抗体の作り方(p105)
 ウイルスの遺伝子のなかで、ヒトの細胞に引っ付くタンパク質の遺伝子だけを、大腸菌のプラスミドという遺伝子のなかにドッキング(結合)する。
 大腸菌を培養液のなかで大量に増やす。
 増えた遺伝子を取り出して、哺乳類やカイコの培養細胞の中に入れる。タンパク質ができてくるので、そのタンパク質を培養液や細胞をすりつぶして取り出す。
 こうして作りだした抗原をダチョウに注射する。ダチョウの体内で作り出された抗体が卵に送り込まれる。
 卵を割って黄身と白身に分け、黄身を特殊な液体と混ぜて攪拌し、遠心分離器にかけて抗体が含まれている部分だけを取り出す。
 抗体溶液を濾過し、さらに純度を高める作業をする。
 
●ダチョウの抗体マスク(p108)
 ダチョウの卵から作る抗体は1g10万円程度。卵1個から約4g採取できる。これで抗体マスクを8万枚作れる。
 
(2021/6/2)NM
 
〈この本の詳細〉


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